熊野神社・立岩神社 巨岩信仰と神武天皇伝承

2018年01月16日

飯塚市のJR新飯塚駅から歩いて5分ほど、立岩丘陵に鎮座するのが熊野神社と奥宮の立岩神社だ。

熊野神社参道に通じる入口の鳥居

立岩丘陵は弥生時代の立岩遺跡で名高い。考古学者の中山平次郎が学会で報告して注目され、元飯塚市歴史資料館館長の児嶋隆人氏や地元の嘉穂高や嘉穂東高郷土部などにより発掘調査・研究された。最近では、嘉穂高校の大先輩で古代史フォーラムでおなじみの高島忠平氏や千鳥屋本家会長の原田利一郎氏らが、遠賀川流域の立岩付近こそ古代史上たいへん重要な場所であると指摘している。

嘉穂郡誌や福岡県地理全誌によれば、熊野神社は、立岩村・柏森村の産土神(うぶすながみ)とされている。

古くは神武天皇が東征した時に、突然風雨が起こり山が振動し、巨岩が飛んできて屏風を立てる状態で山頂に落下した。その時、悪鬼(手足が八つあり空を飛び風雨を操る蜘蛛と熊を合わせたような化け物)が襲い掛かったが、天の岩戸の手力雄神(たぢからおのかみ)が現れ巨岩を投げつけて退治した。その神通力にあやかり、神武天皇が巨岩を祀らせたいう。

また昔は遠賀川(嘉麻川)が立岩丘陵の近くを流れていて、一帯は湿地帯で天皇一行は進めなかったが、浅瀬に鉾を立て対岸に渡れるようになったという伝説もある。

斉明天皇の御代(7世紀)に、現在の熊崎(熊野崎とも)の地に遷宮して産土神の熊崎祠として祭り、後に「熊崎権現・熊野宮」、現在の熊野神社になったという。鞍手郡古門村の神官で国学者伊藤常足の記した太宰管内志によれば、かつては宇佐八幡宮の神領で宇佐八幡宮の別府、宇佐大宮司の城跡があったという。

ご祭神は伊奘諾神(いざなきのかみ)、伊奘册神(いざなみのかみ)で、古くは、手力雄神、大己貴神(おおなむちのかみ)、少名彦神(すくなひこなのかみ)も加えた5柱の神様が祀られていたともいう。現在の境内には本殿と、ご神体の巨岩の磐座、宮地嶽神社、恵比須神社、高木神社、天満宮、須賀神社などの祠がある。

熊野神社の社殿裏手の参道を進み、竹林の古墳跡を通過して、その奥宮に鎮座するのが、立岩の地名由来にもなった立岩神社だ。磐座(いわくら)や岩根など石や岩への崇敬や畏怖、古代日本の巨石・巨岩信仰を今に伝える場所である。

巨岩を祀った立岩神社

社伝にはこの巨岩は「播磨国石室の窟一隻の霊石」だったとある。筑前国風土記や同附録などによれば、この巨岩、霊石は昔は、二つの石が重なって上石が突立っていたが、上石が落ちて、下石の上に手力雄神の祠を祀ったという。また巨岩・霊石は里民には「不動の仏体」や「不動石(岩)」と呼ばれていて、境内には松の神木や大日堂、山上には山霊の木像があったという。現在は周辺に不動明王の像や地蔵堂がある。山や丘陵に対する仏教・密教や修験道の不動明王信仰が影響しているのかもしれない。

(日本経済大学准教授 竹川克幸)

 

 

 

立岩遺跡

 飯塚市立岩の丘陵にある弥生時代の遺跡群。弥生時代中期の堀田遺跡から多数の甕棺(かめかん)墓が発掘され、ほぼ完全な形の前漢鏡10枚、銅矛、鉄剣、管玉などの副葬品が発掘されている。遺跡の出土品は貴重な文化財(国指定重要文化財)としてJR新飯塚駅近くの飯塚市歴史資料館で見学できる。

熊野・立岩神社
住所:福岡県飯塚市立岩1380

この記事を書いたのは・・

竹川克幸
日本経済大学講師

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