「綱分八幡宮」 八幡信仰を代表する神社

2018年01月16日

飯塚方面から烏尾峠を経て田川方面へと向かう国道201号関の山付近の飯塚市綱分(つなわけ)地区は、「延喜式」にも記載されている古代官道の筑前19駅のひとつ「綱別駅」も設置されていたと推定されるなど、古くからの交通の要衝である。

綱分八幡宮の一の鳥居

平安時代の「和名抄」にも記載されている筑前国嘉麻郡七郷のひとつ「綱分(都奈和支)郷」もあった。江戸期は大庄屋有松家が管轄する嘉麻郡の一行政区である「綱分触」も置かれた。

その綱分の地に鎮座する綱分八幡宮は、宇佐八幡宮領の綱別庄の鎮守として宇佐八幡宮から八幡宮が勧請されたという。大分八幡宮、椿八幡宮、曩祖八幡宮など嘉穂地域に多い八幡信仰の代表的な神社のひとつである。

飯塚市の盆踊りの定番でもある、飯塚文化連盟作成の「ON-DOいいづか」にも「綱分八幡・放生会」の歌詞が出てくるほど、地元に親しまれている神社だ。

社伝や嘉穂郡誌、庄内町誌、飯塚市史などの郷土資料によれば、奈良時代の神亀年間(724~729年)に創建とされている。

綱分の地名由来は神功皇后伝承にゆかりが深い。神功皇后一行が三韓出兵から帰還する際に宇美八幡宮(粕屋郡宇美町)を出発しショウケ峠を越え、大分や飯塚を経由し豊前国宇佐の地を目指した旅の途中、金石山のふもとの金丸村(今の綱分付近)でお休みになられた。その際に、神功皇后のお産に用いた安産のおまじないの御綱を分けて斎場に奉納し、天神地祇を祀(まつ)ったという。

巨木に囲まれた綱分八幡宮の拝殿

一方、福岡県地理全誌によれば、馬見神社の神馬(しんめ)を農作業用に借りたが、期限までに返さなかったら、駆けだして戻ろうとしたので綱で引き留めたという伝承も残る。

また神功皇后が祈願の際に三振りの宝剣を甕(かめ)にいれて埋めたという伝説もあって、後世に伝説の通りに庄内郷13カ村(旧庄内町の12の大字と旧頴田町の佐与)の土地を掘ったところ、宝剣やその他の宝が発見され、その三振りの宝剣を応神天皇・神功皇后・仲哀天皇のご神体として遠賀川支流の庄内川流域の庄内郷(庄内河内とも)13カ村の守り神、産土(うぶすな)神とし祀られたともいう。

ご祭神は、勝利の神の応神天皇、武道の神の仲哀天皇、子安・安産の神の神功皇后を祀る。

一時期、宇佐八幡宮系の荘園「綱別荘」が設置され、戦国期には、戦国武将秋月種実が保護した。江戸期は亀山八幡宮とも呼ばれ、福岡藩黒田家の崇敬も厚く綱分村の産土神、嘉麻郡庄内郷13カ村の惣社・宗廟(そうびょう)社として、嘉麻・穂波郡内の天気祈願の神社として信仰を集めた。

近代以降は明治5(1872)年に郷社に指定され現在に至る。現在の境内には貴船神社、若宮神社、天満宮、須賀神社など摂社・末社がある。

(日本経済大学准教授 竹川克幸)

 

 

 

綱分八幡宮放生会御神幸祭  県内でも福岡市の筥崎宮と並ぶ由緒ある御神幸祭として、1960年に県無形民俗文化財の指定を受けた。古くは、650年前の暦応年間の頃から天下太平、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願して神事が執り行われたことが、地元の古文書や記録類(「有松家文書にみるお祭り」など)で確認されている。現在は隔年で開催されている。

 

 

住所:飯塚市綱分866-1

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