古代の遠賀川は国際的

2018年01月16日

考古学者の高島忠平氏が監修する連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く」の第3回講演会が2017年12月18日、飯塚市内で開かれた=写真。嘉麻市教育委員会の文化財係長、松浦宇哲(たかあき)氏が「遠賀川流域の古墳文化と社会」のテーマで話し、約170人が耳を傾けた。

松浦氏は古墳時代の北部九州について、遠賀川流域を含む東側と佐賀平野などがある西側は緊張関係にあった、と指摘。同流域の古墳からは朝鮮半島系の石室や副葬品が出たことを紹介し、「古代の遠賀川流域は想像以上に国際的だった」と強調した。その後の討論会では、高島氏が「遠賀川流域では大和勢力と(対抗する)磐井勢力が競合していた」と述べた。

古代の遠賀川 熱く討論

飯塚市で18日に開かれた古代史連続講座では、嘉麻市教育委員会の文化財係長、松浦宇哲氏と考古学者の高島忠平氏による遠賀川流域の地域史などに関する討論もあり、古代史ファンらが聞き入った。

会場には多くの古代史ファンが詰めかけた

討論で、松浦氏は「北部九州の前方後円墳は大きなものはつくられていないが、数は多い。そこそこの小ボスが競合し、隣同士の仲が悪い関係が九州では続いていたのだろう」と推測。高島氏は「遠賀川流域は東西南北の結節点で、経済的に潤った場所。そこに大和は目を付け、流域の東側に屯倉(朝廷の土地)を設置した」と話した。

次回は来年1月20日に飯塚市のコミュニティセンターで開かれ、形質人類学者の松下孝幸氏が「弥生人と卑弥呼」のテーマで講演する。コスモスコモン=0948(21)0505。

(座親伸吾)

古墳時代の北部九州 東と西が対抗  嘉麻市教育委員会・文化財係長 松浦宇哲氏

古墳時代の北部九州は、遠賀川流域や宗像平野を含む東部と、糸島半島や佐賀平野を含む西部に分けられる。前方後円墳は同時代前期に西部で、後期に東部でつくられている。

大和・近畿地方に多い腕輪形石製品は、沖出古墳(嘉麻市)のほか、東部の古墳から見つかっている。当時の支配階級の人たちにとっては、これを持つことが権力を周りに知らしめる宝だった。東部と西部は互いをライバル視し、弥生時代から古墳時代を通してその関係は続いていたとみられる。

嘉麻市教育委員会・文化財係長 松浦宇哲氏

セスドノ古墳(田川市)は石室の側面に石を立てた珍しいつくりで、類似した石室が朝鮮半島東南部(韓国・大邱市)の古墳群にある。新羅で作られたつぼも出ていて、向こうと関わりがあった人がセスドノ古墳に埋葬された可能性がある。かって塚古墳(嘉麻市)や山の神古墳(飯塚市)からも朝鮮半島系の副葬品が見つかっている。

遠賀川流域は雄略朝期以降、大和王権と親密な関係を築いた。国家形成を考える上でも、非常に重要な地域だった。

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西日本新聞筑豊総局

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