勾玉などの装い 木下教授が講演 

2018年03月20日

考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く-イイヅカ発古代史情報最前線」の第5回講演会が17日、飯塚市内であり、約170人が訪れた。考古学者で熊本大の木下尚子教授が「立岩人の装いと卑弥呼」のテーマで講演した。

古代史連続講座で討論する登壇者たち

古代の“アクセサリー”だった勾玉(まがたま)はガラスや翡翠(ひすい)製で、貝輪は琉球列島の大型巻き貝の殻で作られた腕輪。北部九州で弥生時代中期から用いられ、木下氏は「勾玉は権力の階層性、貝輪は農耕祭祀(さいし)のための役割があった。当時の社会的ルールに沿った装いだった」と話した。

今回で2017年度の連続講座は最終回。同市教育文化振興事業団などによる実行委員会は18年度も講座の開催を計画している。 (座親伸吾)

貝輪の役割など熱く討論

飯塚市のコミュニティセンターで17日にあった2017年度の最終回となる古代史連続講座には約170人が訪れた。講演した熊本大教授の木下尚子氏と高島忠平氏による討論会では、貝輪が持つ役割など古代の「装い」について意見が交わされ、来場者は熱心に聞き入った。

講演に耳を傾ける古代史ファン

高島氏が発掘調査を指揮した吉野ケ里遺跡(佐賀県)から出土した貝輪について、木下氏は「(他の地方では)99%は女性がイモガイ、男性がゴホウラを材料に使っている。しかし、1%の例外が佐賀。佐賀では女性がゴホウラの貝輪を身に着けていた。佐賀は女性と男性の役割が他と違っていたのでは」と指摘した。

高島氏は、貝殻が琉球列島からもたらされた点に着目。「沖縄から遠賀川流域に至る南北の交易ルートがあったのではないか」とした上で、「弥生時代は呪術があった。呪術師が貝輪を腕にはめていたのでは」との可能性を示した。木下氏は「見つかった貝輪は、ほとんどが壊れずに補修の跡もあった。大切に扱われていた」と話した。

定年退職後、古代史に興味を持ち始めたという春日市の上田秀美さん(67)は「貝輪や勾玉(まがたま)に意味や役割があるとは知らなかった。邪馬台国の九州説を信じていて、毎回話しを聞くのが楽しかった」と話した。

貝の腕輪求め 北部九州から琉球へ (木下尚子・熊本大教授)

 立岩遺跡(飯塚市)の甕棺(かめかん)からも、琉球列島産のゴホウラやイモガイで作られた貝の腕輪が出ている。北部九州の弥生人は南下して薩摩、種子島へ移ってガラスなどと交換して貝を持ち帰ったようだ。南の島から北部九州の弥生土器などが出土している。貝輪は農耕祭祀(さいし)に用いられ、中には個着けて埋葬されたケースもあった。腕は動かせなかったはずだ。
木下尚子・熊本大教授


 権力の階層性を示す勾玉(まがたま)は、透明感のある緑色の翡翠(ひすい)で大きさは3㌢以上。新潟県の糸魚川でとれた。弥生時代終末期になると、九州で貝輪の習俗はなくなった。消費地は九州から東方へ移っていった。古墳時代前期には(近畿地方の)ヤマト王権もゴホウラなどを入手し、独自の加工を加えた。材質は貝から碧玉に変わり、権威や権力をあらわす「威信財」へ変化した。
 邪馬台国の卑弥呼の正装を考古資料から推測してみる。玉器化される前の貝輪をはめていただろう。勾玉は同時代の古墳にみられず、使わなかったとみられる。古代中国で官吏に与えられた印綬を身に着けていたはずだ。ヘアスタイルは6世紀のみこの形の埴輪(はにわ)があるが、まげを結い、髪飾りもしていただろう。

 

 

修了受講生の107人に認定証

フォーラムと講演会の計9回が行われた2017年度の古代史連続講座が17日で終わり、修了した受講生107人に「古代史マイスター」の認定証が渡された。

撮影が行われ、受講生同士で懇談する姿が見られた

連続講座は昨年5月からスタート。この日は講演会後に会場をコスモスコモンに移して授与式を行い、受講生45人が参加した。

高島忠平氏は「遠賀川流域の古代史を明らかにしたいと始めた。やりがいがあった」とあいさつ。高島氏を交えて記念撮影が行われ、受講生同士で懇談する姿が見られた。

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西日本新聞筑豊総局

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