「東遷」テーマに討論

2019年02月01日

考古学者の高島忠平氏が監修とコメンテーターを務める古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第6回フォーラムが27日、飯塚市で開かれた。関西外国語大教授の佐古和枝氏と、元佐賀県立名護屋城博物館館長の田平徳栄氏が「邪馬台国は東遷したか?」をテーマに議論。約150人が参加した。

古代史連続講座で意見を交わす登壇者たち

邪馬台国の場所については、九州説と畿内説のほか、九州から畿内に移ったという東遷説がある。畿内説の田平氏は「東遷はノー。邪馬台国は魏が認めた唯一の政権で、一貫して畿内にあってヤマト王権に引き継がれた」と主張。

一方、九州説の佐古氏は「北部九州にあった論拠は、大規模集落や王墓が複数あり、大陸系の遺物が出ているからだ。ただ、九州説でも疑問点はある」と話した。 (座親伸吾)

邪馬台国巡り意見交わす 第6回古代史連続講座

 中国の史書「魏志倭人伝」に関連記述がある邪馬台国の場所を巡り、関西外国語大教授の佐古和枝氏が「九州説」、元佐賀県立名護屋城博物館館長の田平徳栄氏は「畿内説」の立場からそれぞれの考えを述べた。講演と討論会の要旨は次の通り。

畿内説・邪馬台国は一貫して大和に/元佐賀県立名護屋城博物館館長、田平徳栄氏

邪馬台国の女王卑弥呼は狗奴国と不仲だったとされる。狗(く)奴(な)国は濃尾平野の辺りに求める説が妥当だ。弥生時代、地域の発展のため生産性と武力を高めるには、鉄を大量にかつ安定的に確保することが不可欠だった。鉄は韓半島(朝鮮半島)から入手する以外に方法はなく、倭国(わこく)連合の東の外れに位置する狗奴国も韓半島との交易に頼らざるを得なかった。

田平徳栄氏

3世紀は、邪馬台国を中心に最大の同朋「投馬国」、韓半島への通交拠点「伊都国」、存在感を増しつつあった「狗奴国」の4極が中心。狗奴国の反目という“東方問題”を抱えながら微妙な関係を保っていた構図だ。四つのクニのうち狗奴国以外は瀬戸内海交易ルートで結ばれ、連携がとれる態勢にあった。

(邪馬台国が九州から畿内に移ったという)東遷はノー。邪馬台国は一貫して大和(畿内)にあった。邪馬台国は魏が認めた唯一の政権で、それ以外のダブル権力は承認しない。邪馬台国は畿内にあって、ヤマト王権に引き継がれていく。

九州説・卑弥呼と邪馬台国は無関係/関西外国語大教授、佐古和枝氏

邪馬台国論争の大和(畿内)説の根拠に、畿内の前方後円墳から出土する三角縁神獣鏡を卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」だとする見方がある。ただ、日本では多く出土しているのに中国では1枚も出ていない。纒(まき)向(むく)遺跡(奈良県桜井市)は範囲は広いが、吉野ケ里遺跡のように人がたくさん住んでいた跡がない。

佐古和枝氏

九州には、大規模な弥生集落や王墓が複数存在し、大陸系の遺物がたくさん出てくる。魏志倭人伝に記述がある国名と今の地名が一致している。卑弥呼の宮室として、吉野ケ里よりふさわしい遺跡は見つかっていない。

ただ、九州説にも疑問がある。帯方郡からの使者は、卑弥呼と会うのが目的なのになぜ伊都国にいたのか。なぜ邪馬台国の記述が乏しいのか。

(魏志倭人伝に記述がある)「邪馬台国に都をおいた女王」とは、卑弥呼ではない。卑弥呼と邪馬台国は無関係と考えれば、さまざまな謎が解ける。魏からの使者は邪馬台国には行っていないが、卑弥呼には会っている。

 

 

この記事を書いたのは・・

西日本新聞筑豊総局

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