弥生文化と邪馬台国語る

2019年03月29日

古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第7回講演会が2月24日、飯塚市飯塚のコスモスコモンであった。テーマは「弥生文化と邪馬台国」。九州大大学院人文科学研究院准教授の辻田淳一郎氏と考古学者の高島忠平氏の講演や公開討議での主な発言をまとめた。
 (本山優紀)

鏡は「古墳」協力の見返りか/九州大大学院人文科学研究院准教授・辻田淳一郎氏

九州大大学院人文科学研究院准教授の辻田淳一郎氏

弥生時代後期から終末期までは銅鏡などの輸入窓口が北部九州にあったと考えられる。
鏡は呪術的な力を持ち、権力を示す象徴として使用された。鏡は瀬戸内以東から東海にかけて流通している。全国各地の人々が北部九州で鏡を入手した可能性や、全国各地から派遣された使者が北部九州で使節団のようなものを作り、北部九州の人々を「水先案内人」として海を渡り、入手した鏡を地元に持ち帰った可能性などが考えられる。
一方、古墳時代初頭前後には近畿地方の遺跡から、さまざまな種類の大きな鏡が出土するようになったことから、流通の核が北部九州から近畿地方に移ったことが推測できる。各地の勢力が近畿地方に人を派遣して、鏡を受け取り持ち帰った。近畿地方の勢力が古墳造営に協力した各地の勢力に見返りとして鏡を与えていたことも考えられる。

大小の青銅鏡で権威を示す/講座監修の考古学者・高島忠平氏

講座を監修する考古学者の高島忠平氏

弥生時代は自然の産物を採取する縄文時代と異なり、農作物を生産する時代だった。「ムラ」や「クニ」などが形成され、争うようになった。その中で指導者が台頭し、権力を示すものや実用的な武器として青銅器が普及した。
その後、銅鐸(どうたく)などは戦争での勝利や農作物の豊作を祈る祭器として用いられ、大型化していった。実用的な武器としては中国からもたらされた鉄製武器が利用されるようになった。
紀元前1世紀ごろ、鉄製武器と同時に青銅鏡も輸入されるようになり、呪術や権威を表すものとして使われた。大型の青銅鏡は男性の王、小型の青銅鏡は巫女(みこ)が所持していたとされる。男性の王は世俗的な権威、巫女は呪術的な権威を鏡で示すことで、「国」を治めていたとされる。邪馬台国にも継承され、卑弥呼(ひみこ)が女王、弟が実務政治を担っていた。

 

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