邪馬台国論争の課題 2氏が解説

2019年05月27日

 2018年度の古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の最終講演会が3月31日、飯塚市飯塚のコスモスコモンであった。テーマは「邪馬台国論争の課題」。九州大名誉教授の西谷正氏と国学院大客員教授の柳田康雄氏の講演や公開討議での主な発言をまとめた。

クニの調査重ねて/九州大名誉教授・西谷正氏

 

 西谷正氏

 中国が魏・呉・蜀と分裂する中、魏王朝は外交戦略として日本列島と手を結んだ。当時の中華民族が周りのクニとどのように付き合っていたのかを把握する必要がある。
 前漢の時代に、日本に「百余国」あったクニが、魏の時代になって「三十国」に統合されたと考える研究者は90%以上いる。だが、倭人伝には「三十国が使訳を通じていた」とある。私は魏の時代に200~300の国々があったと推定しているため、「三十国」は魏が外交関係を結んでいたクニの数だと考えるべきだと考える。
 日本各地にどのようなクニがあったのかを調べ、積み重ねていくことが邪馬台国の所在地の解決につながるのではないか。

年代踏まえ議論を/国学院大客員教授・柳田康雄氏

柳田康雄氏

 鏡や青銅器が出土した時代や年代を踏まえた上で議論をするべきである。
 北部九州では、弥生中期に中国の物がどっと入ってくる。弥生時代と後漢の終わりはほぼ同じだが、その頃の鏡の出土は伊都国に集中し、近畿からはかけらさえ出ていない。その後、畿内からも見つかるようになったため東遷説を唱える。
 近年はすずりが大量に出始め、先日は国内最古とみられるすずりが佐賀県吉野ケ里遺跡から出土した。近畿でも見つかっている。政治的側面から文字は欠かせないものであり、広範囲に文字が広がっていたのではないか。すずりらしいものが見つかれば、それがどの時期のもので、どの地域から見つかったかを探ることが重要である。
 

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