狗奴国の実態探る 2氏が講演

2019年10月15日

 考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第3回となるフォーラムが9月22日、飯塚市で開かれた。邪馬台国と敵対していたとされる狗奴(くな)国に関する近年の研究などについて、肥後考古学会と熊本歴史学研究会に所属する島津義昭氏と、NPO法人古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク理事長の赤塚次郎氏が意見を交わした。主な発言をまとめた。


かめ形土器の形態に注目/肥後考古学会 島津義昭氏


 

島津義昭氏

 まず、魏志倭人伝の記述から、狗奴国の所在地は、邪馬台国の境界の南であり、卑彌弓呼(ひみくに)(または卑弓彌呼(ひこみこ))という男の王と、狗古智卑狗(くこちひこ)という官がいたことが分かる。女王国と激しく対立するような強国であったので、邪馬台国連合と同じような構成を持つ国であったと推定される。
 次に、狗奴国の有力な地域である熊本県に焦点を合わせ、考古学情報から考える。弥生後期から古墳時代初期についてのかめ形土器の形態が、九州内で二分される。これは、単に生活用具の分布の違いを示すだけでなく、政治的領域の差と考えられる。
 弥生時代後期から終末期にかけては、脚台の付いたかめ形土器が九州中・南部に分布していることもあり、この地域内に狗奴国があったと推測され、邪馬台国は九州北部にあったと考えられる。
 

 

東日本の部族社会探る/古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長 赤塚次郎氏


 

赤塚次郎氏

 2世紀後半から3世紀前半を中心とする列島各地の地域社会には、言語や風習が異なる多様な部族社会が存在していたと考える。
 2世紀前葉に気象変動や巨大地震で、濃尾平野の大集落「朝日遺跡」が滅んだ後、伊勢湾沿岸部に風俗、風習を共通する大きなまとまりができた。その後、その大部族社会が東日本各地に東海系文化を広め、その過程で東日本各地に前方後方墳が出現した。
 狗奴国と邪馬台国の争いが247年とすると、東海文化がヤマト東南部に大きな影響を与えたことになり、初期倭王権誕生に東海地域の部族社会が大きく関与したと思われる。
 いずれにせよ狗奴国が列島のどこかに存在するとすれば、まずは2、3世紀の地域社会全体の実態を一つ一つの地域で分け隔てすることなく、捉え直すことが重要だ。 

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