弥生文化の成立に迫る 人類学と考古学から

2019年12月11日

 考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第5回フォーラムが11月10日、飯塚市で開かれた。国立科学博物館(東京)副館長の篠田謙一氏が「DNAで語る弥生人の成立」をテーマに講演し、高島氏は「考古学からみた渡来と在来」と題し、弥生人や弥生文化成立の謎に迫った。2人の主な発言をまとめた。

日本人 多様な集団混血か/国立科学博物館副館長 篠田謙一氏

篠田謙一氏

 現代人や、発掘された古代人のDNAから、人類の成立を知ろうという研究をしている。縄文人と弥生人の骨格を比較すると、縄文人骨はアイヌの人に似ていて全国どこでも同じ特徴を持つ。一方、弥生人は現代日本人に近く、地域差がある。このことから人類学では、全国に住んでいた縄文人と大陸からやってきた渡来人の混血が、北部九州から日本列島に進み弥生人が成立したという、「二重構造説」が唱えられていた。
 しかし、DNAを解析すると、そんな簡単な構造ではないことが分かってきた。弥生後期の青谷上寺地遺跡(鳥取市)で見つかった複数の人骨のDNAを見ると、ほとんどは母系の遺伝が分かるミトコンドリアは「渡来系」であったのに対し、父系の遺伝を示すY染色体は「縄文系」だった。同遺跡では、弥生後期なのに渡来人と縄文人の混血が進んでいなかったことや、多様な母系と父系が混ざっていたことが分かる。
 現代日本人は、縄文人と弥生時代以降の混血で成立したのは言うまでもない。ただ、縄文人にあったであろう地域差や時代差に加え、渡来系弥生人の実態もまだ分かっていない。今後は、渡来系弥生人のルーツである弥生時代の朝鮮半島集団のDNAを解析し、弥生から古墳時代にかけてどう日本人のDNAが変化したかを捉えることで、混血の様子が解明できるだろう。

 

文化形成 渡来人に三つの波/講座監修の考古学者 高島忠平氏

高島忠平氏

 弥生時代、渡来人は大きく3波に分けてやって来たと考える。文化は担い手である人の往来により伝わる。この三つの波が、弥生、そして古墳時代の文化形成に大きな役割を果たした。
 第1波は、稲作技術を伝えた人たちだ。福岡平野では、防衛機能を持つ環濠を伴う集落で稲作がなされていたが、九州の他の地域では環濠が無く小規模な営農をしており、埋葬様式も地域によって異なる。こうしたことから、日本の初期の稲作文化は、朝鮮半島から複数のルートで伝わったと考えられる。
 第2波は、弥生時代前期の後半、中国系の青銅器が出現した頃。青銅器は、実用的な武器でもあり、政治的支配を示す権威にもなった。紀元前2世紀後半の北部九州で見つかっており、政治的権威を持つ社会が出てきたと推測できる。この時代は、中国系の移民が入り、彼らが政治を主導したとも考えられる。
 第3波は3世紀頃、魏志倭人伝の時代だ。朝鮮だけでなく中国王朝とも、物資に加え政治的な往来があった。朝鮮半島では倭人との戦いの記録もあり、多くの人の行き交いがあった。
 これらの3波の渡来を出発点に、多様な人が交わり合った社会が北部九州に出現した。今後は、どう遺伝し、広がったか、考古学的に事実を組み立て、人類学的にも解明されていくことを期待する。

この記事もおすすめ

カテゴリ記事一覧