古代日本と朝鮮半島探る

2019年12月25日

考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第6回講演会が14日、飯塚市内で開かれた。韓国・慶北大教授の朴(パク)天秀(チョンス)氏が「2~9世紀韓日交流―その歴史と意義」、高島氏が「日本古代国家の生成と韓半島(朝鮮半島)」と題してそれぞれ講演した。2人の主な発言内容をまとめた。

新羅と倭 戦争と外交両面の関係~韓国・慶北大教授 朴天秀氏

4世紀まで金海地域から供給されてきた鉄鋌(てってい)が5世紀前半に新羅産に変わり、日本列島産の勾玉(まがたま)が新羅の王陵級古墳に副葬される金冠に装着される。新羅古墳に副葬された日本列島産硬玉は5千点以上と推定され、倭がいかに鉄と金製品を渇望したかがわかる。
「日本書紀」の応神31年、仁徳11年にみられる新羅

朴天秀氏

人技術者の派遣記事は、新羅と倭の政治的な交渉を示唆する。ほかでも伽耶(かや)や百済との交渉の記事が全くなく、あるのは新羅との交渉のみ。この時期の新羅と倭の関係は敵対的なものではなく、戦争と外交の両面的な関係と認識できる。
6世紀前半の百済支配下の栄山江地域で、前方後円墳が在地首長系列とは無関係に突然出現する。造営が1世代に限られ、墳形や石室、副葬品に倭人の特徴がみられる。被葬者は石室類型などから、九州に出自を持つ倭人。東城王の帰国を筑紫国の軍士500人が護衛したという「日本書紀」雄略23年の記録と一致することから、被葬者らは470年前後に百済に渡った九州の首長と考えられる。

中国支配下で韓半島の政治成長~講座監修の考古学者 高島忠平氏

紀元前2世紀後半、中国・漢帝国が韓半島(朝鮮半島)にも勢力を拡大する中で、楽浪など4郡を設置して支配した。地域の人たちは弾圧に反抗し、政治的成長の契機になった。韓半島の高句麗は部族首長の連合体で、中国の郡県支配下で自立性を志向し、政治的成

高島忠平氏

長を遂げようとした。北部九州の「国々」はこうした身近に起こる動きに呼応して政治的成長を促された。
古墳時代、4~5世紀にかけて日本列島に筑紫、出雲、吉備、大和の地域国家が成立。5世紀に大和は薄かった鉄資源の獲得に成功し、徐々に韓半島からの鉄資源流通システムの主導権を掌握した。大和は6世紀に吉備、出雲で始まった鉄の生産を支配下に置き、かねて中国・朝鮮半島諸国との交流・交易の主導権を持っていた筑紫の磐井の勢力と対抗し、「磐井の乱」(527年)で勝利した。
7世紀に入ると韓半島の高句麗、百済、新羅間の抗争に参入する。百済、高句麗が滅び、新羅が統一。それに対抗して新たな国家統一の理念が大和政権で構想されるようになった。

 

 

 

この記事を書いたのは・・

西日本新聞筑豊総局

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