英彦山神宮 遠賀川の神々宿る霊峰

2017年02月16日

 西日本新聞筑豊総局は、遠賀川流域の古代史に光を当てる企画に取り組んでいます。「発掘(ほる)ばい かわすじ ヘリテージ」です。その一環で神社連載を始めます。筑豊の神社には日本書紀や古事記に登場する神々の伝承が数多くあります。筆者は、麻生西日本新聞TNC文化サークル事務局長の母里聖徳氏と日本経済大専任講師の竹川克幸氏です。

 九州北部地域の霊峰の英彦山は、古代より信仰された神体山だ。中世には修験の霊場「英彦山権現様」として栄えた。当時は僧坊3800余、49窟の行場を有していたといわれている。

 今は英彦山神宮として、山頂に上宮を置き、山域に摂末(せつまつ)社(しゃ)あわせて16社を配置している。豊前坊高住神社や、筑前から豊前域に「英彦山神領四十八大行事社(高木神社群)」を点在させている。

参道の起点となる銅鳥居


 まずは上宮を目指して、入り口の銅鳥居(かねのとりい)から石畳の参道を登った。
 国の重要文化財の銅鳥居は佐賀藩主の鍋島勝茂が建立した青銅製の鳥居だ。いつ見ても圧倒されるフォルムもさることながら、鋳(い)込み肌の銅素材ならではの存在感と緑青(ろくしょう)の深い緑と木々の緑が調和している。冷たい触感のなかに、どっしりとした銅の重量感がある。鋳物師の技術力を感じる。

 銅鳥居の横には、神幸祭で神輿(みこし)が泊まる御旅所がある。御神木や周囲の木々と建物がつくり出す祭事空間は疲れた心を癒やしてくれる。しばらく歩くと、左手に財蔵坊が見えてくる。かつての山伏坊社であり、小形ながらほぼ全形を留めていて、県指定民俗文化財に指定されている。

 参道の木漏れ日と秋めいた風、そして野鳥の鳴き声が聞こえてくる。気分爽快だ。僧坊の説明板を読みながらゆっくりと登る。

 石畳を登ること15分ほどで左手に招魂社がある。あまり知られていないこの社は、神宮の所管社として、英彦山の勤皇義僧柱が祭られている。幕末の衆徒達は長州藩と連携して、尊皇攘夷(じょうい)運動を起こし、新しい国づくりを模索していたのだ。古代や中世だけではない。近世の英彦山も興味深い歴史がある。

 やはり国重文の奉幣殿に着いた。この建物は修験道時代の霊仙寺の大講堂で740年に建立。現在の建物は1616年に小倉藩主の細川忠興が再建した。

昨年9月、英彦山神宮奉幣殿の境内で行われた護摩たき

 桃山時代の様式を残した建物だ。森を背景として、屋根の檜皮(ひわだ)ぶきの茶褐色に朱塗りの梁(はり)や柱の赤色とのコントラストによる緊張感が講堂全体の形を引き締めていて、優雅でありながら威厳を備えている。

 所管社の龍神様(天之水分神)が水をこんこんと湧き出している。この水で喉を潤す。ここからは山道だ。上宮を目指した。(母里聖徳)

=2016年9月10日付 西日本新聞朝刊=

英彦山

御祭神は天照大神の神子の天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。「日の子の山」から「日子山」と呼ばれ、819年に法蓮が山中に飛来した鷹の落とした羽に「日子を彦と改めよ」と記されているのをみて、嵯峨天皇の詔により「彦」に改めた。1729年には霊元法皇が院宣により、「英」の1文字を賜り、「英彦山」と改称した。天之忍穂耳命は農業、鉱山、工場などの守護神として崇敬されている。配神として、南岳に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、中岳に伊邪那美命(いざなみのみこと)を祭る。

英彦山神宮
住所:日本福岡県田川郡添田町英彦山1487 英彦山神宮前簡易郵便局

この記事を書いたのは・・

母里聖徳
麻生西日本新聞TNC文化サークル事務局長

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