沖ノ島 全て世界遺産に/ユネスコ

2017年07月22日

ポーランドで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は9日、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県宗像市、福津市)について、日本が推薦していた全8資産の登録を決めた。宗像市の沖ノ島と三つの岩礁に加え、本土の宗像大社辺津宮(へつみや)など諮問機関から除外勧告を受けていた4資産も逆転登録。古代祭祀(さいし)遺跡が残る沖ノ島と現在まで続く宗像大社信仰の一体的な価値が評価された。12日に世界遺産一覧表に記載される。

世界文化遺産登録が決まった沖ノ島と岩礁=3日、福岡県宗像市

登録が決まったのは、宗像市の宗像大社沖津宮(おきつみや)(沖ノ島と小屋島(こやじま)、御門柱(みかどばしら)、天狗岩(てんぐいわ))▽沖合10キロの大島にある同大社中津宮(なかつみや)と沖津宮遥拝所(ようはいしょ)▽本土の同大社辺津宮▽福津市の新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群-の8資産。

沖ノ島では、4~9世紀に航海の安全を祈る祭祀が行われた。朝鮮半島、中国製の装飾具など約8万点の出土品は全て国宝に指定され「海の正倉院」と呼ばれる。沖津宮、中津宮、辺津宮には宗像三女神をそれぞれ祭り、古墳群は祭祀を担った宗像氏の墓とされる。

9日の議論で委員国は、東アジアとの交流を示していることや出土物の考古学的価値などを高く評価。その上で「全8資産は文化、歴史的に切り離せない」「宗像三女神の信仰が今の宗像の人々にまで続いている」などとの意見が相次ぎ、日本の主張通り全8資産での登録で一致した。

イコモスは5月、考古学的価値を重視し、沖ノ島と鳥居の役割を果たす岩礁のみの登録を勧告していた。

今回の登録で国内の世界遺産は21件(文化遺産17件、自然遺産4件)となる。2018年は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が文化遺産、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄)が自然遺産の登録審査を受ける。

 

粘りの説得 逆転勝利

「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県宗像市、福津市)として推薦した全8資産の世界遺産登録が認められた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)から除外勧告を受けた4資産は、沖ノ島(沖津宮(おきつみや))のような考古学的成果が乏しく、史料や風習を根拠に価値を伝えなければならなかったが、複数の資産で一つの物語を紡ぐ「シリアルノミネーション」という手法が功を奏した。

沖ノ島には23カ所の祭祀(さいし)遺跡があり、国家的祭祀が行われた4~9世紀に国内外から持ち込まれた奉献品が多数出土した。遺跡や遺物が古代の信仰と東アジアの交流を明確に示す。しかし、その後の信仰の継続性について、イコモスは疑義を示していた。

沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮(なかつみや)(大島)の湍津(たぎつ)姫神、辺津宮(へつみや)(九州本土)の市杵島(いちきしま)姫神。宗像大社が祭る「宗像三女神」は8世紀に成立した日本書紀や古事記に登場するが、三宮の一体性は考古学的な裏付けが弱い。

ただ、中津宮の後背にある御嶽山山頂や辺津宮の高宮祭場周辺で沖ノ島と同様の滑石製品が出土しており、共通の祭祀があったと考えられる。日本側は、自然崇拝の原始信仰から神道への展開を丁寧に説明し、三宮の一体性について世界遺産委各国の理解を得た。

沖津宮遥拝所(ようはいしょ)の存在は、記録上は18世紀までしかさかのぼれない。沖ノ島に残る禁忌の始まりも詳しく分からない。それでも沖ノ島の学術調査が行われた20世紀まで、国家的祭祀の遺物が手付かずで残り、今も神職以外の渡島が許されない「スピリチュアル」な世界観が、信仰の継続性を示すと判断されたようだ。

「国内的な価値」とイコモスが評価した新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群も、沖ノ島祭祀を担った地元豪族の「宗像氏が存在した物的証拠」(九州大の西谷正名誉教授)とする主張に、より説得力があったのだろう。4資産にとどまった勧告の後も、粘り強く働き掛けた関係者による“逆転勝利”だ。

沖ノ島の存在感が際立つが、鳥居の役割を果たす岩礁三つを含め、構成資産が補完し合わなければ、古代東アジアの壮大な交流と日本古来の信仰の全容は語れない。だからこそ委員国の発言にも「シリアルノミネーション」という言葉が相次いだ。世界遺産の目的である「保存」と、市民の理解につながる「活用」の手掛かりは、8資産を大きな一つの遺産と捉える視点にこそある。

 

古代のアジア交流 綿々

沖ノ島は宗像市神湊(こうのみなと)の約60キロ沖にあり、条件がそろえば九州本土からも島影を望めるが、渡島するには玄界灘の荒波を越えなければならない。

海に身を沈め「みそぎ」を行う神職たち=福岡県宗像市の沖ノ島

渡島の痕跡は約5千年前の縄文時代前期にさかのぼる。島内で縄文土器が出土した。沖ノ島周辺は優良な漁場とされ、縄文人も海の恵みを求めて荒波にこぎ出したのかもしれない。弥生時代には北部九州の人々が壱岐や対馬を伝って朝鮮半島との間を往来した。航路から外れた沖ノ島でも弥生土器が見つかっている。

沖ノ島信仰の起源について、福岡教育大の亀井輝一郎名誉教授(日本古代史)は「航海安全や豊漁を願い、宗像の共同体の人々が神を見いだしたのだろう」と語る。海原にそびえる山のような島影が灯台の役割を果たしたという。島自体がご神体とされ、今も漁師の信仰を集める。

古代国家を確立した大和政権は対外交流に力を入れる。遠洋航海が不慣れな大和の人々は、北部九州の豪族・宗像氏を頼った。朝鮮半島の百済との関係が深まった4世紀後半から遣唐使が途絶える9世紀末にかけて、沖ノ島で航海安全や交易成就を祈る国家的祭祀が行われた。日本書紀は宗像三女神を「道主貴(ちぬしのむち)」と呼ぶ。「道中の神」を意味し、三女神の性格を表す。

国家的祭祀が続いた500年の間、数々の宝物が沖ノ島にささげられた。中国の唐三彩や朝鮮半島の馬具など国際色豊かな遺物は東アジアの交流史を映す。その間、祈りの場は巨岩の上から岩陰へ、岩から少し離れ、平地へと4段階で変化した。神道成立以前の自然崇拝の様相と、古代祭祀の変遷が1カ所でたどれる希有(けう)な遺跡でもある。木々が生い茂り、巨岩が林立する島内は、約1100年前に時間が止まったままのような雰囲気が漂う。

北部九州の人々が、はるか昔から大陸と交流を重ね、歴史文化と精神世界を育んできたからこそ、沖ノ島という唯一無二の島が生まれた。航海に関する世界遺産は珍しく、世界遺産委員会ではこの点も高く評価された。

 

「立ち入れない島」の観光課題

沖ノ島は女人禁制や、島で見聞きしたことを他言しない「お言わずさま」などの禁忌によって、島の聖性を継承してきた。一般の人が立ち入ることのできない世界遺産はまれだ。独特の文化や資産を守りながら、その価値を観光客とどのようにして共有するかが課題になる。

世界遺産登録をきっかけに、観光目的で沖ノ島に近づく船が増える可能性がある。国は6月、沖ノ島の史跡範囲を広げ、島の半径2キロの海域を追加指定した。福岡県宗像市はこれを基に、島の半径2キロ以内に許可なく近づくことを規制する条例案を年内にも、市議会に提案する方針だ。

谷井博美市長は「今までは海上に線引きがなく、規制のしようがなかった。理念条例ではあるが、一定の歯止めにはなる」と効果に期待する。条例に従って、許可を得た漁船の洋上参拝なども検討するという。

沖ノ島以外では観光客受け入れの動きが進む。宗像市と隣の福津市では今月、沖ノ島と関連遺産を紹介する施設が相次いで完成。島内の様子を3D映像などで紹介する既存の「海の道むなかた館」とともに、情報発信力を強める。

伝統文化の疑似体験にも工夫を凝らす。宗像市大島の沖津宮遥拝所をはじめ、両市には沖ノ島を遠望して手を合わせる「遥拝」を行う場所が点在する。地元自治体などでつくる世界遺産推進会議は、遥拝できる場所の天候が悪くても、その場所から望む沖ノ島の画像がスマートフォンで見られるアプリを開発中。遥拝地図の作成も検討している。

宗像大社は沖ノ島で出土した国宝を展示している神宝館、境内の景観、職員の応対を見直している。広報担当者は「沖ノ島の勉強をして訪れる観光客が増えている。世界遺産にふさわしい神社と実感してもらえるようにしたい」と話した。

 

=2017年7月10日付 西日本新聞朝刊=

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