邪馬台国や古代九州王朝の論議が「豊の国」(福岡県田川・豊前)で活発だ

2017年07月31日

田川が面白いことになってきた。

古代の話である。

福智町文化財専門委員の小林省吾さんが「邪馬台国は田川にあった」を自費出版した。昨日の紙面でお伝えしたように、町内にある「鬼塚(おんつか)」が女王卑弥呼の墳墓というのだからびっくりだ。

「豊の国古代史研究会」の招きで講演している古代史・日本語学研究家の坂田隆氏は「邪馬壹国(邪馬台国)は田川郡・京都郡にあり、卑弥呼の宮室(宮殿)は赤村にあった」と自説を展開している。

古代の筑豊で王朝が政権を交代しながら歴史を刻んだと、機関誌で発信を続ける関西のグループもいる。

いずれも在野の研究者やグループだ。それでもハーモニーを奏でるように情報が飛び交うと、大きなインパクトとなって音響は高まっていくだろう。

そこにまた、記紀万葉研究家の福永晋三氏が東京から川崎町に移住してきた。古代の「九州王朝説」を唱えた故古田武彦氏に師事し、やがて独自の古代史論を掲げ、数年前から筑豊各地で講演会を重ねている。

田川にとっては、強力な応援団の登場だ。

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福永氏を紹介したい。

1952年、旧宮田町(現在の宮若市)磯光の生まれだ。鞍手高から国学院大文学部に進学。大手書店に勤めた後、78年から都立高校教諭を務めた。

40代の頃、古田氏が主宰する月1度の勉強会に参加するようになった。古田氏に同行して各地の遺跡や神社をめぐり、地域伝承の調査に取り組んだ。

やがて、福永氏は古田氏と異なる考え方を持つようになる。筑紫に王朝があったという古田説に対し、福永さんは豊の国を古代王朝の舞台と考えた。

1998年5月、香春町の河内王の陵墓近くで地元の人が「おおきん(大王)さん」と呼ぶ場所を視察した。このとき、2人の考えは真っ向から対立し、福永さんは古田さんのグループを出た。

一匹狼(おおかみ)の研究者となった福永さんは夏休みになると、直方市のビジネスホテルに滞在し、1週間から2週間、筑豊各地を回り、文献をあさった。

遠賀川川筋には神社を中心に古事記、日本書紀の神々の伝承があふれており、特に神功皇后の話が多いことに気付いた。調査を深めると、神武天皇の伝承も数多くあり、神武の後を神功皇后が追うように2人の軌跡は重なっていた。

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鞍手町新北の熱田神社には50回以上通った。剣岳の麓だ。

「熟田津(にぎたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな」

額田王か斉明天皇が三韓出兵のときに詠んだとされる万葉集の和歌だ。古代の地形や地名から、この和歌は剣岳山頂で大潮を待った情景だと思いついた。後に国土交通省遠賀川河川事務所長(直方市)を務めた松木洋忠さんも同様の考えを示し、話題になった。

生まれ故郷の磯光には天照神社がある。子どもの頃に境内で遊びながら神話の世界を思った。不思議な感覚だった。いまは「遠賀川流域こそ神話の舞台だ」との核心に変わった。

大学に進学してから半世紀近く。東京から再び川筋に戻ってきたのは「やっぱり筑豊を元気にしたい。生まれ育った地域が古事記や日本書紀の舞台だったんですよ。ワクワクするじゃないですか」。

福永さんは、古代史観光を掲げる田川広域観光協会(田川市)や各地の古代史研究グループと連携し、古代ロマンのハーモニーを奏でるつもりだ。

古代の楽しみが一つ増えた。

 

=2017年7月30日付 西日本新聞朝刊筑豊版=

この記事を書いたのは・・

西日本新聞筑豊総局長 西村隆幸

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