許斐神社  豊かな地徳をたたえる

2017年08月21日

国道200号、旧長崎街道筋に面し、飯塚市幸袋の新町バス停から見える丘の上に鎮座する許斐(このみ)神社は、わがふるさと幸袋地区の産土(うぶすな)神である。

幸袋は、かつては筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門の地元として、伝右衛門が経営する幸袋工作所や石炭運搬のための鉄道路線の幸袋線や幸袋駅が整備されるなど、炭鉱街として栄えた。今や観光名所となった旧伊藤伝右衛門邸、その駐車場(幸袋工作所跡)もすぐ近くである。国道200号に面した一の鳥居は伊藤伝右衛門が寄進したものである。

伊藤伝右衛門が寄進した一の鳥居

幸袋は、かつては穂波郡内の荘園に因む「合屋(おおや)」や「王谷」、近代には「大谷村」という地名だった。遠賀川が蛇行して袋のような入江地形になっていたことから、「河袋」とも呼ばれ、江戸時代に「幸袋」に変化したともいう。

地名の由来は、洪水を避けるために好字(幸の字)をつけたとか、木実権現に奉納された黄金の財布(袋)に因むとか、1838(天保9)年に五か村用水が完成し米の収穫量があがって幸福をもたらしたとか諸説ある。

嘉穂郡誌や幸袋町誌などによれば、1516(永正13)年の神託・神勅により、荒魂を鎮めるため、領主が木の実生い茂るこの地に社殿を営み、黄金を奉納し、木実権現を祀(まつ)るようになったという。その後、1573(天正元)年頃、秋月氏の家臣、許斐某が秋月氏方の笠木(笠置)山城の支城の許斐山(木の実山)城にあった木実権現を崇敬し神社を再建したので、いつしか許斐神社と言われるようになったと伝えられている。

筑前国続風土記の「穂波郡の古城・古戦場の項」には「木實山古城」として「秋月氏の端城」とある。嘉穂郡誌は、年代は不詳だが、中村の撃鼓神社(かつては熊野神社、鼓打権現・笛吹権現とも)を勧請したとも記している。

祭神は占いや神事の神様の天太玉命(あめのふとだまのみこと)、祭祀(さいし)をつかさどる天児屋根命(あめのこやねのみこと)、芸能の女神の天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。いずれも、日本神話の天の岩戸伝説に出てくる神である。

この地は古来より、船舶、家屋などを作る木材や木の実などに役立つ杉、ヒノキなどの樹木が繁茂する丘陵で、その地徳をたたえる神社だと考えられる。

 

飯塚市幸袋の丘に鎮座する許斐神社の社殿
飯塚市幸袋の丘に鎮座する許斐神社の社殿

境内には須佐神社、稲荷神社、蛭子神社、天満神社が祀られ、旧長崎街道沿いに面していたため、道祖神の猿田彦神や庚申塔(こうしんとう)が多く合祀(ごうし)されている。かつては8月24、25日に「天神祭」と称して、神社境内や参道に露店が立ち並び、子供山笠や福引などの祭りが盛大に行われていた。丘の上からの展望は遠賀川や川島、立岩丘陵、福智山方面を望み、ふるさとの情景を思い出す昔懐かしい神社である。
 

筑前・許斐山城

別名は木の実山城で、許斐神社の境内地にあった秋月氏の端城、笠木(笠置)城の出城と伝えられている。約20㍍の丘陵地に築かれた城で、秋月藩士大倉種周が描いた「穂波郡河袋村木實故城図」(国立公文書館所蔵)によれば、堀切で区画された二つの曲輪(くるわ)が南北に並んでいたようである。現在は「城ノ腰」の地名と、堀跡と思われる「城ノ腰ため池」が残っている。

住所:日本福岡県飯塚市幸袋506−1

この記事を書いたのは・・

竹川克幸
日本経済大学講師

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