北部九州の弥生人 「戦乱逃れ渡来か」

2018年01月24日

考古学者の高島忠平氏が監修する連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く-イイヅカ発古代史情報最前線」の第4回講演会が20日、飯塚市内であり、170人が訪れた=写真。

土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)館長の松下孝幸氏は「弥生人と卑弥呼」のテーマで講演。人骨調査で日本人のルーツをたどる松下氏は、九州での弥生人の特徴を顔の長短や身長などから「北部九州・山口」「西北九州」「南九州・南西諸島」に分類。北部九州の弥生人は長い顔や平らな鼻の特徴から中国大陸からの渡来民と考えられるといい、「当時の中国は戦国時代。現代のシリア難民と一緒で、戦乱が人の移動を引き起こしたのでは」と推測した。

高島氏を交え、埋葬法の甕棺(かめかん)についても議論した。 (座親伸吾)

討論する高島忠平氏ら

 

遠賀川や甕棺巡り議論

飯塚市で20日に開かれた古代史連続講座。講演した土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム館長の松下孝幸氏は出土品が多数見つかっている遠賀川の印象を語り、討論会では甕棺(かめかん)について、考古学者の高島忠平氏と意見を交わした。

講演に聞き入る参加者たち

松下氏は「九州では以前から遠賀川に注目していた」といい、「河川は飲み水をとるだけでなく、古代の人にとっては高速道路のような移動手段。遠賀川沿いでクニや集落ができないのはおかしい。初めて立岩遺跡(飯塚市)を見て、あらためて何かあると確信した」と語った。

北部九州で弥生時代に埋葬で使われた甕棺。松下氏は「遺体をなくさないようにする、『再生』の意味を込めて造られたのでは」と推測。高島氏は「甕棺は粘土で目張りし、周りには鏡や矛を置いていた。封じ込める意味ととれる」と語った。

卑弥呼の顔、出身地で変わる(土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム・松下孝幸館長)

日本人は昔から顔の彫りが浅いと思われがちだが、縄文人は彫りも深く、鼻もヨーロッパ人のように高かったとみられる。

土井ケ浜遺跡(山口県)から出土した300体以上の弥生時代の人骨は、顔が長く、鼻が平らで、高身長。縄文人とは全く異なり、中国大陸からの渡来民という仮説が出た。

北部九州の弥生人も土井ケ浜と同じ特徴を持っていて、縄文人とは違っていた。以前、2年かけて中国大陸で人骨調査をする中で、山東省で出土した紀元前後の300体が、「北部九州・山口」の人骨と酷似していた。内陸地で黄河と長江の源流である青海省で見つかった人骨も似ていた。

土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム・松下孝幸館長

佐賀や長崎の「西北九州」の弥生人は顔が短くて広く、身長が低い。「南九州・南西諸島」の弥生人は顔が小さく身長は低い。小顔ブームの先駆け、安室奈美恵さん(沖縄出身)でイメージできると思う。

弥生人の特徴は地域差があるので、邪馬台国がどこにあったのか、卑弥呼の出身地がどこだったかでその顔かたちも変わる。DNA分析しないと分からない。

この記事を書いたのは・・

西日本新聞筑豊総局

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