香春岳 「三ノ岳」こそ天香具山か【連載 新説・日本書紀①】

2018年01月24日

おほきんさんとの出会い

 わが国初の正史(国家として編修した歴史)に『日本書紀』がある。多くの歴史学者がこれにより、「大和王朝が近畿に興った」とする。戦後史学は、神代応神天皇からが実在とし、神代から神功皇后までを架空としてきた。
 これらの学説に対して、神功皇后を実在と見る私は、1998年5月2日、香春の「鏡の池」を初めて訪ねた。神功は書紀の中でも豊前国の熊襲(くまそ)を退治して回るが、「仲哀峠」や「鏡の池」が記されていない。
 案内に従って進んだら、とある民家に入ってしまった。間違ったと思い、車を反転させようとしたら、玄関から人が出てきて、「鏡の池はここでよかとですよ」と声をかけられた。声の主こそ柳井秀清さんだった。
 「鏡の池」見学後に案内されたのが「おほきんさん」だった。
 「大王様?」。天皇の古い呼称である。「香春に大王様? 誰?」。頭は空回りするばかり、だが、眼前に確かに弥生期の円墳がある。
 この時、同行していたのが古田武彦氏(故人)であった。邪馬台国近畿説が圧倒的多数を占める時代に、「『邪馬台国』はなかった」を発表し、第2書「失われた九州王朝」以降、「九州王朝論」を唱えた人物である。宿への帰途、氏がポツリ。「仲哀天皇の墓でしょうかね」
 しかし、氏の九州王朝論は詰まる所「筑前一元説」の考え方で、卑弥呼も倭五王(わのごおう)も日出処天子(ひいづるところのてんし)もすべて筑前にいたとする考え方である。一方、書紀に描かれた神武天皇から天智・天武までの歴代天皇を全て「近畿大和分王朝」の系譜だとした。結局、通説と同様、天皇は誰一人九州にいないのである。


古代田川に天皇がいた

 古田氏の筑紫一元論に対し、私は素直に「豊前の大王様」、特に「田川の天皇」を真剣に考えることにした。その正体を突き止めたい。その年の夏から十数年に及ぶ香春詣で、否、柳井さん詣でが始まった。
 印象的だったのは、平松和夫さん(故人)の鉱石のコレクションを見せていただいたことだ。香春三ノ岳の横鶴鉱山から出た自然金には度肝を抜かれた。記紀などの神代に描かれた「天香山(あまのかぐやま)」からは金と銅が採れたと記してある。が、奈良県の天の香具山からは何も出ない。香春三ノ岳こそが本物の「天香山」と比定した。その後、「神武は筑豊に東征した」を著わし、「おほきんさん」を本物の「畝傍(うねび)東北陵」すなわち「神武天皇陵」と比定したのである。また、「真実の仁徳天皇」を著わし、再び、「香春の天皇」を論証した。

石灰岩が採掘される前の香春岳(香春町教育委員会提供)


 次に驚かされたのが「宮原盆地の謎の石造りの地下水路」の存在だった。2011年、「頂吉(かぐめよし)」の地名に引かれて、十何度目かの香春探訪の際に突如、柳井さんの口から出た。その謎の地下水路こそ、斉明天皇紀に「水工をして渠(みぞ)穿(ほ)らしむ。香山の西より、石上山に至る。」と記された「狂心(たぶれごころ)の渠」に違いないと直観した。以後も、次々に日本書紀と事跡の合う遺跡が現れた。「古代田川に天皇がいた」との確信がいよいよ深まった。
 私は筑豊の人々に、筑豊が古代ヤマトの地であったことを伝えたい。筑豊の真実の古代を知ってもらいたい。「新説・日本書紀(やまとのふみ)」をつづろうと思う。
 (記紀万葉研究家 福永晋三)

=2018年1月20日 西日本新聞筑豊版掲載
 

 ふくなが・しんぞう 1952年、宮田町生まれ。記紀万葉研究家。「神功皇后紀を読む会」主宰。鞍手高をへて国学院大文学部文学科(漢文学専攻)を卒業後、2013年まで都立高校教諭を務める。年には川崎町に研究室を設け、「倭国」は「豊国」との自説に基づいた田川と筑豊の古代史を発信している。著書「真実の仁徳天皇」(不知火書房)や論文「神武は筑豊に東征した」(同時代社の「越境としての古代第6集」に収録)など多数。
住所:日本福岡県田川郡香春町

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