新たな邪馬台国論は、日田抜きには語れない ー 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と日田と邪馬台国

2017年02月16日

 日田市のダンワラ古墳で出土した国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」と邪馬台国、卑弥呼との関係に迫る歴史作家、関裕二氏による講演会が月1日に日田市で開かれる。開催に先立ち、主催者の日田歴史発見講座「伊藤塾」に送られた関氏と、鉄鏡を研究してきた九州国立博物館企画課長の河野一隆氏の寄稿文を2回にわたって紹介する。初回は関氏。

 邪馬台国の謎に、新たなミステリーが加わろうとしている。日田市ダンワラ古墳で出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡だ。後漢の王族に所持が許された、貴重な鏡だ。

 これまで邪馬台国論争で、日田市は蚊帳の外だった。しかし、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の重要性が明らかになるにつれ、日田市を無視することはできなくなってきたのだ。

 それならばなぜ、日田市に貴重な鏡が眠っていたのか。邪馬台国論争に、どのように絡んでくるのだろう。日田に卑弥呼がいたというのか?あるいは、日田は邪馬台国だった?夢は膨らむ。しかし、ここから先が、まさしくミステリーなのだ。

 江戸時代に天領(幕府直轄領)だったように、日田盆地は知られざる要衝だったのだ。3世紀のヤマト(大和)も、ここに楔(くさび)を打ち込んでいる。政治と宗教に特化された環壕(かんごう)(環濠)集落が造られ、ヤマトと山陰から土器が持ち込まれている(小迫辻原遺跡)。ちょうど邪馬台国の時代と重なるから、無視できない。

 筑後川上流の日田は天然の要害だった。当時の日本列島で最も栄えていたのは北部九州勢力だったが、日田盆地を東の勢力に奪われれば、厄介なことになった。

 ならば、ヤマトが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を日田にもちこんだのだろうか。あるいは、卑弥呼は九州にいて、彼女の鏡が、何かしらの形で日田にもたらされて伝世したのだろうか。あるいは、日田は邪馬台国だったのか?

 新たな邪馬台国論は、日田抜きには語れないのである。

(2016年9月28日掲載、日田玖珠版)

関裕二氏寄稿

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