金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に表された2種類の龍 倭人の憧れか

2017年02月16日

 日田市ダンワラ古墳から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)は、金・銀・玉(珠)を象眼して飾られた鉄の鏡である。主たる文様は、体をくねらせて入り組んだ龍であるが、2千年近く経過した今では銀が酸化し黒色化したため、実物を見ても全体像は判然としない。

 しかし、日田市豆田町の天領日田資料館には復元レプリカがあって、それを見ると2種類の龍がいることに気付く。一つは流麗な表現で互いに絡みつき、頭部を側面観で表した龍。いまひとつは魚のような鰭(ひれ)を持つ短い体に、角を生やし目には緑色のトルコ石を象眼した正面向きの龍である。後者は辰年(たつどし)の年賀状に登場するような姿で、精巧に割り付けられた鏡の文様の中で、どことなく癒やしの雰囲気が漂っている。

 中国の龍信仰は新石器時代にまでさかのぼる。はじめは豚と蛇とが合体したような造形だったが、次第にスピード感を強調したフォルムとなり、殷周時代の青銅器には唐草文のように絡み合った龍文が誕生する。これは春秋戦国時代を通じて洗練され、東アジア各地にも伝播(でんぱ)する。時代は下り高句麗古墳壁画でもその優美さは失われず、飛鳥時代の高松塚古墳の青龍はこの流れをくむ。ところが日本には、もう一匹の龍もいる。今から2千年近く前の弥生時代後期、近畿地方の弥生時代の大型集落からは、しばしば絵を線刻した土器、「絵画土器」が出土する。その中には蛇のような「S」字の一端を丸くおさめた不可解な絵が見られる。考古学ではこれが弥生時代の人々が想像した龍の姿だ、とされている。

 とは言っても、決定的な根拠があるわけではないのだが、もし龍だとすれば、弥生時代後期になって日本人が龍への信仰と出合って、自ら土器に刻んだのかもしれない。この時期は、倭国(わこく)大乱から邪馬台国の時代へと移り変わる時期で、国際交流も活発化し龍への注目度が高まったのだろう。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に表された2種類の龍も、そんな倭人(わじん)の憧れなのだろうか。

(2016年9月29日掲載、日田玖珠版)

関裕二氏

日田市のダンワラ古墳で出土した国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」と邪馬台国、卑弥呼との関係に迫る歴史作家

この記事もおすすめ

カテゴリ記事一覧