卑弥呼は日田にいた!?邪馬台国研究 高島忠平氏が講演

2017年02月20日

鉄鏡魏からの返礼か 中国模した環濠集落

 日田で戦前に出土した金銀(きんぎん)錯嵌(さくがん)珠龍文(しゅりゅうもん)鉄鏡(てっきょう)、金錯(きんさく)鉄帯鉤(てったいこう)(帯金具)と中国の史書「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼、邪馬台国との関連性について考える講演会とパネルディスカッションが6日、日田市で開かれた。

 邪馬台国の時代のクニ跡が見つかった吉野ケ里遺跡(佐賀県)の発掘を指揮し邪馬台国九州説を唱える高島忠平氏は講演で「研究途上で断定はしないが、この鉄鏡は卑弥呼か後継者の台与(とよ)(壱与(いよ))のものと考えていいのではないか。国宝に匹敵する鏡だ」と述べ、出土状況を調査するなどして価値付けする必要があると訴えた。

 高島氏は古代の鏡について「剣とともに神霊が宿る王権、権威の象徴だった」と説明。三国志で知られる魏の曹操の墓が近年になって発掘され、鉄鏡が見つかったことなどと併せて「魏から朝貢の返礼としてもたらされたのではないか」との見方を示した。

 また、日田で中国を模した環濠(かんごう)集落跡(小迫辻原遺跡)が見つかり、当時は有明海の海岸線が現在の筑後川の河口から約20㌔奥まったところまで入り込んでいた点を指摘。「有明海の海運、筑後川の水運を考えれば、日田などの筑後川流域は、卑弥呼が神託を出すのに必要な国際的情報が得られる場所であった可能性もある。卑弥呼が日田に住んでいたとしても、葬られていたとしてもかまわないと考えている」と話した。

 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は1933(昭和8)年、故渡辺音吉氏が久大線の建設工事に伴って自宅の裏山(ダンワラ古墳)の土砂を採取している最中に発見し保管していたが、誰かに持ち出されたらしく行方が分からなくなっていた。戦後、奈良の古物店で故梅原末治・京大教授が見つけて発表、注目された。64(同39)年には国の重要文化財に指定された。

 この日は渡辺氏の次女、京子さんもパネルディスカッションに参加し、63(同38)年ごろに梅原氏が自宅を訪ねてきた際の様子を紹介。「梅原先生が鏡を磨かせたところ石灰の層が出ていたそうで、父が保存のために鉄鏡に石灰をかけたと話したら、『出土場所はここで決まりですね。謎が解けました』とおっしゃっていました」と振り返った。

 講演会とパネルディスカッションは日田歴史発見講座「伊藤塾」が主催した。

=2016年3月10日 西日本新聞朝刊(日田・玖珠版)=

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