馬見神社 天孫降臨伝承の残る聖地

2017年02月16日

 遠賀川流域の源流点に近い、馬見山(978メートル)に鎮座する馬見神社。

 古くは古代の有力豪族で、天孫降臨したといわれる「饒速日(ニギハヤヒ)」を祖先とする氏族・物部氏にも由来するという伝承を持つ神社である。

馬見山の濃い緑と厳かな雰囲気に包まれた馬見神社の境内入り口

 古来は山の頂上に巨岩(御神所岩)があり、上宮として祭られてきたという。現在の社殿(下宮・遥拝(ようはい)所)は、平安時代に源為朝(鎮西八郎)により建立された。以降、戦国武将・秋月種実や秋月藩・黒田氏の崇敬も深く、嘉麻郡の総社として五穀豊穣(ほうじょう)の祈願・祭礼が行われた。

 馬見山は、英彦山峯入りの行場で、神仏習合の時期には、大光寺、神木寺もあった。戦国期には馬見城も設置され、秋月氏と大友氏との攻防が繰り広げられた場所でもある。

 本殿には、秋月藩のお抱え絵師・斎藤秋圃(しゅうほ)が描いた絵馬など、貴重な奉納絵馬類が残る

境内の長い石段を登ると姿を現す馬見神社の本殿

 ご祭神は神話の国産みの神でもある伊弉諾尊(イザナギノミコト)、天孫降臨の御神・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、大山津見神の女(むすめ)で美人神でもある木花咲哉姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)だ。

 古代史研究家の志村裕子氏は、古事記、日本書紀とともに古代史研究の文献として知られる先代旧事本紀の解説の中で、天孫降臨した饒速日の子でもある宇摩志麻治命(ウマシマチノミコト)の名前は、故郷の山河である「麗しい馬見」つまり、馬見山や「馬見物部氏」に因む伝承であると推定している。

 また馬見山は、英彦山とともに、遠賀川流域の「国見」の指標、川の源流点や水源として自然崇拝、信仰の対象ともなった重要な場所であったろうと考えられる。

 高島忠平氏が監修した新・肥前風土記によると、「国見」とは、古代において山や丘陵などの高所に上って、領有する国土の地勢を望見し、国魂を身につけた呪術者=首長が国土の支配権を確認し、繁栄を願う儀礼をいう。

 本殿へ向かう長く続く参道の石段を上っていくと、山林や渓谷、清水に囲まれた境内の清浄な空間や静閑で厳かな雰囲気に畏敬し、思わず心が洗われる。

 周辺には、弥生時代の遺跡でもある鎌田原墳丘墓群や原田遺跡がある。秋には梨やリンゴ狩りを楽しめるフルーツ農園もあり、嘉麻の里の古代ロマンや豊かな実りに思いをはせながら、歴史散策や行楽を満喫できる。

(日本経済大学講師 竹川克幸)

2016年10月8日、西日本新聞筑豊版掲載
 

メモ

 馬見・足白の由来 江戸期の筑前国続風土記や筑前名所図絵などでは、ご祭神は「白馬大明神(馬見大明神)」として紹介されている。福岡県神社誌や嘉穂郡誌によれば、神武天皇ご東征の折、ここに参拝され、その御神馬は足が白い馬(足白)で、馬見・足白の地名が起こったという。また、「白馬大明神」は芦毛(あしげ)の馬を忌み嫌い、地域には芦毛を飼わず、通行も禁止したという。

所在地=嘉麻市馬見
 

馬見神社
住所:日本福岡県嘉麻市馬見1575 馬見神社

この記事を書いたのは・・

竹川克幸
日本経済大学講師

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