「企救国」って何? 北九州市の弥生遺跡群に注目 古代国家の形成を考える手掛かり

2017年03月02日

 北九州市小倉南区の紫川流域にある弥生時代の遺跡群がひそかに注目されている。かつて福岡県企救(きく)郡があった地域。ここに、邪馬台国や伊都国のように古代中国の歴史書「魏志倭人伝」には登場しないが、遺跡群の存在を踏まえ、同時期に「企救国」と呼ぶにふさわしいクニがあったと考える考古学者もいる。

重留遺跡で出土した全長約83センチの広形銅矛=北九州市八幡東区の市立いのちのたび博物館

歴史書に登場しないクニ?

 「1800年前、紫川流域に企救国があったのではないか」。2016年7月末に同市内であった講演会で、九州大の西谷正名誉教授(東アジア考古学)は力説した。

 対馬国、一大国、末盧(まつら)国、伊都国、奴(な)国…。倭人伝は3世紀の日本のクニを記すが、「企救国」はない。だが「使訳通ずる所は三十国」(倭人伝)で、「企救国」のように中国と外交関係を持たないクニもあったと西谷さんは考える。

 「企救国」の中心と想定されるのが城野遺跡。この集落跡では九州最大級の方形周溝墓(東西16・5メートル、南北23メートル)が発見された。規模だけなら伊都国の平原王墓(福岡県糸島市)を上回り、「王墓に相当する」と西谷さんは言う。律令(りつりょう)時代の豊前国企救郡につながる集落だという。

 ただ、方形周溝墓の中央にあった2基の石棺に埋葬されたのは、いずれも子ども。内部は貴重な水銀朱が多量に塗られ、高貴な人物の墓と推定されるが、王とは考えづらい。

 朱塗り部分に不思議な線刻画が施されていた。これを、東京大の設楽博己教授(日本考古学)は古代中国の呪術師「方相氏(ほうそうし)」の絵と解釈する。四つ目の仮面をかぶり、戈(ほこ)と盾を手に邪気を追い払う存在。方相氏だとすれば、紫川流域と中国とのつながりが浮かぶ。「後漢の衰退を受けて、従来の奴国までの基本ルートではないところにも(中国との)門戸が開けたのではないか」と設楽教授は指摘する。

公園に整備された重留遺跡では、広形銅矛の出土状態が再現されている=北九州市小倉南区

紫川流域に確かにあった豊かな青銅器文化 

 城野遺跡の近くには、住居跡に広形銅矛が埋納されていた重留遺跡や、約200点のガラス玉が出土した重住遺跡があり、大規模集落の存在が想定されている。「企救国があったという状況証拠は整っている」と北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室の佐藤浩司室長も強調する。

 2016年3月、文化審議会が国重要文化財に指定するよう答申したのが、重留遺跡から出土した広形銅矛だ。複数回、埋めたり、取り出したりした痕跡があった。こうした出土状況は国内初の発見で、弥生時代の祭祀(さいし)の様子を伝えるとして評価された。

 これを記念し、市立いのちのたび博物館(八幡東区)は「企救の国の青銅器文化」展を11月6日まで開いている。広形銅矛をはじめ、市内で出土した銅鏡や銅剣などが並ぶ。クニと呼ぶか否かはさておき、紫川流域に豊かな青銅器文化を持つ拠点集落があったことは確かなのだ。

 ところで、城野遺跡がある国有地は1月に民間企業に売却された。市民団体が遺跡の保存運動を展開し、日本考古学協会も3回にわたって遺跡保存と史跡整備を市などに求めている。

 日本の古代国家の形成を考える上では、魏志倭人伝に登場しない地域の実態にも目を向けることが大切だ。紫川流域の遺跡群は、その象徴的な存在と言える。 

=2016年9月8日付 西日本新聞朝刊文化面=

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