円墳、実は前方後円墳 再調査で規模明らかに 船原古墳

2017年03月02日

船原古墳の埋納坑で出土した鉄製轡

 福岡県古賀市教育委員会は、全国で類例のない金銅製馬具など200点以上の遺物が埋納坑(まいのうこう)から出土した、古墳時代後期(6世紀末から7世紀初め)の同市の船原(ふなばる)古墳について、墳長42メートル以上の前方後円墳であることが明らかになったと発表した。これまで直径約20メートルの円墳とみられていたが、遺物の質、量と古墳の規模が釣り合わず、市教委が昨年5月から古墳を再調査していた。

 市教委によると、船原古墳で1996年に行った最初の発掘調査では、前方部の盛り土が低かったことなどから円墳と判断したという。再調査では、前方部と後円部の間のくびれに人工的な成形跡が確認できたことなどから、前方後円墳と断定した。市教委は「被葬者が大和政権とつながる権力者である可能性が高くなった」としている。

 このほか、発掘調査では従来の遺物埋納坑の近くに新たな埋納坑(長さ4・6メートル、幅2メートル、深さ0・8メートル)が見つかり、底から馬の口にくわえさせて手綱をつなぐ鉄製の「環状鏡板付轡(かんじょうかがみいたつきくつわ)」が5組出土した。同時期の鉄製轡が5組まとめて出土するのは極めて珍しく、土壌分析で動物の体内に含まれるリンが検出されたため、馬が埋納された可能性もあるという。

 桃崎祐輔福岡大教授(考古学)は「前方後円墳であることが判明したことは、船原古墳の主と(大和朝廷の支配拠点である)糟屋屯倉(かすやのみやけ)とのつながりを補強するものだ」と話している。

=2015年2月21日付 西日本新聞朝刊=

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