邪馬台国は福岡にあった?銅鏡や鏃の出土突出 

2017年02月06日

 邪馬台国はどこにあったか、卑弥呼は何者か-。日本史最大のミステリーと言っても過言ではないだろう。

「邪馬台国は福岡にあった」と話す安本美典さん

 私は哲学者の和辻哲郎(1889~1960)が最初に提唱した「邪馬台国東遷説」を支持する。邪馬台国を基礎とする北部九州の勢力が東へ移動し、畿内に移って大和政権をつくったというものだ。

 注目しているのが、筑後川や遠賀川流域など福岡県内の弥生時代の遺跡から見つかった銅鏡や絹製品、鉄鏃(てつぞく)の数。全国でも出土数が突出しているのだ。これは「魏志倭人伝」に記述がある、卑弥呼が中国の王から鏡を授かったこと、邪馬台国が鉄の鏃(やじり)を使ったことなどと合致する。貴重なガラス製勾玉(まがたま)の出土も多い。

 邪馬台国所在地で最有力は福岡の朝倉地区と考えている。地名にもヒントがある。朝倉市とその周辺の「三輪」「御笠山」「長谷山」などの地名が、奈良県北部の地名や読みと一致するのだ。それぞれの地域での位置関係も似ている。17、18世紀の英国人がアメリカ大陸で「ニューヨーク」や「ニューハンプシャー」のように祖国ゆかりの地名をつけたのと同じような心情ではなかったか。さらに言えば、大規模に壕(ほり)と柵が巡らされた朝倉市の「平塚川添遺跡」は卑弥呼と同時代のものだ。

=2016年4月8日付 西日本新聞=

安本 美典(やすもと・びてん)

1934年、中国(旧満州)生まれ。京都大文学部卒。元産業能率大教授(数理歴史学)。「季刊邪馬台国」編さん委員会顧問。川崎市在住。

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