遠賀川流域の古代史 パネリストに聞く【筑豊は文化の十字路 伝説の天皇、皇后足跡残す 自然とともに祭る「天孫」】

2017年02月06日

筑豊は文化の十字路 考古学者・高島忠平さん

 飯塚市中心部の丘陵にある弥生時代前~中期の立岩遺跡群で、大量の甕棺(かめかん)や銅鏡が見つかったのは1963~65年だ。立岩遺跡は古代の遠賀川流域をどんな人物が治めたかを考える上で多くのヒントを与えてくれる。

 二つの甕棺を紹介したい。6面の銅鏡、銅矛、鉄剣が副葬されていた「10号甕棺」。被葬者は男性だろう。「28号甕棺」にはガラス製の装身具が残っていた。女性が埋葬されたと考えられる。

 「魏志倭人伝」に「卑弥呼には弟があり、国の統治を助けている」との記述がある。呪術を使って神の託宣を受ける卑弥呼には実務を担う弟がいたのだ。

 立岩のクニは、10号、28号甕棺の存在から、邪馬台国のような政治形態だったと想像できないだろうか。

 遠賀川の流れを利用した交易にも注目している。立岩遺跡で作っていた石包丁と同型のものが、筑豊全域はもちろん、朝倉地方や福岡地方でも見つかっている。筑豊は古代、文化の十字路だったに違いない。

 当時、海岸線は今より大きく陸地に入り込んでいた。立岩を治めた王は川を利用して海に出て、中国や朝鮮と直接交易していた可能性もある。

高島忠平(たかしま・ちゅうへい)

1939年生まれ。飯塚市出身。熊本大卒。佐賀県教委で吉野ケ里遺跡の発掘、保存の指揮を執った「ミスター吉野ケ里」。佐賀市在住。

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伝説の天皇、皇后足跡残す 季刊邪馬台国編さん委員長・河村哲夫さん

 遠賀川流域の神社などの伝承には、神武天皇と神功皇后の足跡が数多く残っている。

 神武天皇は天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫で、宮崎の高千穂から東へ攻め上り奈良の大和に至る東征伝説が有名。大和で初代天皇に即位したとされる。神功皇后は14代仲哀天皇の皇后。神託を受け朝鮮半島の新羅国を征服したという。ともに古代の史書「古事記」(712年)と「日本書紀」(720年)の重要な登場人物だ。

 調べた限り、飯塚市、嘉麻市には神武天皇の「滞在」「通過」を伝える神社や地名が計14カ所もある。

 神功皇后の伝承はより具体的だ。新羅から帰還後に皇子を出産したのが宇美町の「宇美」(生み)。皇子をかご(しょうけ)に入れて越えた峠が「ショウケ峠」として今に残る。

 熊本県辺りに勢力を持っていたという熊襲(くまそ)を征討した景行天皇が戦勝祈願した伝説も、嘉麻市の射手引神社などに残っている。

 伝説の天皇、皇后が「足跡」を残しているのは、古代に軍隊が通行できる広い道があったことを物語る。古事記、日本書紀は創作要素が濃いと言う人もいるが、日本の地域史をしっかり伝える史料だ。

河村哲夫(かわむら・てつお )

1947年生まれ。柳川市出身。九州大卒。福岡県職員時代から柳川藩や古代史の研究、執筆に取り組む。日本ペンクラブ会員。筑前町在住。

自然とともに祭る「天孫」 歴史作家・志村裕子さん

 遠賀川流域は天照大神の子孫である神々「天孫」と関わりが深い地域だ。神話の始まりであるイザナギノミコト、イザナミノミコトを祭神とする神社も多い。

 英彦山神宮(添田町)にはアメノオシホミミノミコト(天照大神の子)が、遠賀川源流近くの馬見神社(嘉麻市)には天照大神の孫のニニギノミコトと妻コノハナサクヤヒメが、遠賀川と彦山川の合流点付近の多賀神社(直方市)にはイザナギとイザナミが、それぞれ祭られている。他にも例を挙げたらきりがない。

 注目したいのは天孫一族を祭る神社の所在地だ。英彦山は古くから霊峰とされた。川の源流は水の供給源として大切にされたはずだし、河川の合流点は交通の要衝だっただろう。共通するのは、ランドマークとなる自然と一体的に神々を祭っていることだ。

 これは、自然に神が宿るという太古の世界観「アニミズム」と似ており、かなり古い時代から天孫への信仰が続いてきたといえる。遠賀川流域の天孫関係の神社は、後世に後付けで造られたものではないと考える。遠賀川流域は「古事記」と「日本書紀」に登場する神々が躍動した「神話の古里」なのだ。

志村裕子(しむら・ゆうこ)

1959年生まれ。千葉県出身。青山学院大卒。著書に「先代旧事本紀現代語訳」など。日本園芸協会認定のローズ・コンシェルジュ。同県柏市在住。

=2016年4月9日付 西日本新聞朝刊=

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