高まる関心 水中考古学 鷹島遺跡の史跡化を機に

2017年03月09日

 水中考古学への関心が全国で高まっている。長崎県松浦市沖の海底遺跡「鷹島神崎(こうざき)遺跡」が2012年3月、水中の遺跡として初めて国史跡に指定された影響が大きい。同年11月に東京であった東南アジア考古学会でも、水中考古学をテーマに国内外の研究者が各国の事例を報告した。しかし、日本の水中考古学は100年の歴史がありながら、発掘実績は乏しく、社会の認知度もいまひとつ。鷹島神崎遺跡の今後を見すえ、発掘チームの責任者の話も聞きながら、この分野の現状と課題を取材した。

 

日本の水中考古学は1908年に始まった

 「日本は、欧米はもちろん、アジアの中でも実績面で遅れている。水中文化遺産の周知、遺跡の保護体制、行政の支援も足りていない」。東南アジア考古学会で、NPO法人・アジア水中考古学研究所(ARIUA、福岡市博多区)の林原利明理事はこう訴えた。

 林原理事によると、日本の水中考古学は1908年、長野県の諏訪湖底曽根遺跡の発見を機に始まる。文化庁が2000年にまとめた報告では、国内で確認された水中遺跡は216カ所。北海道から沖縄まで各地で調査は行われている。

 だが、行政が作成する埋蔵文化財包蔵地台帳に登録された水中遺跡は少なく、鷹島神崎遺跡や琵琶湖湖底遺跡(滋賀県)のように、行政が周知を図るケースは少ないという。「水の中が見えないため、関係者に戸惑いがあるのではないか」。林原理事は指摘する。

 発掘調査の難しさや危険性も敬遠される理由のようだ。潜水は水深40メートルで1回30分、1日2回が限界とされる。潜水士は潜水病(減圧症)の危険にさらされ、最悪の場合は命を落とす。地上での調査に比べ、機材費や人件費もかさむ。

 

水中でも地上でも、調査のポイントは一緒

 それでも水中遺跡を発掘調査する意義は何か。

 同学会で講演したフィリピン国立博物館の水中考古学部門の責任者ヨセビオ・ディソン博士は、自身が調査した沈没船サン・ディエゴ号を例に挙げた。同船はスペインの船で、約400年前、戦いに敗れてフィリピン近海で沈んだ。ディソン博士は「調査を通じて、沈没場所や積み荷の内容など文献との食い違いが生じてきた」と振り返った。

 ARIUAの林田憲三理事長も、元寇(げんこう)の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』が後世に修正された可能性を指摘。史書や絵巻など文献だけに頼らず、考古学的調査も行うことの重要性を説いた。

 歴史を深く読み解く意味もある。太平洋戦争時にパラオ近海で沈んだ旧日本軍の艦船を調査している奈良文化財研究所の石村智研究員は、沈没船の多くが徴用された民間船だったことを報告。「戦史に残されない名もなき艦船のことや、大戦末期の特攻作戦につながる旧日本軍の苦しい状況が見えてくる」と語った。

 学会では、歴史の検証は、水中においても地上と同様、考古学と文献史学の両面でアプローチすることの大切さが確認された。

 

保存や展示はどうする?

 水中遺跡の保存・展示も大きな課題となる。

 木材は泥の中では形状を保ちやすいが、海水にさらされると、フナクイムシに浸食される。このため発掘調査を終えた沈没船は、引き揚げるか、現場で埋め戻さなければならない。

 ただ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の水中文化遺産保護条約は水中遺跡の現地保存を求めている。日本は条約を批准していないが、世界的な傾向だ。

 では、どうやって市民に水中遺跡を公開するのか。ヒントになるのが、イタリア・ナポリ郊外のバイア水中公園。地殻変動で海底に沈んだ古代ローマ時代の都市が残る。この海底遺跡では、船底が透明なボートに乗ったり、ダイバーの案内で潜ったりして市民や観光客が遺跡を見学できる。

 ARIUAもバイアを参考に07年、長崎県の小値賀島海底遺跡で同様の見学会を開催。昨年は沖縄の海底遺跡で地元の高校生向けに見学会を開いた。林田理事長は「浸食される木製の遺物はレプリカに置き換えられる。水中遺跡の発掘と保存、活用を一体的に考えてほしい」と強調する。

 12年6月には、入門書の『水中考古学のABC』が出版された。著者で水中考古学者の井上たかひこさんは「日本で水中考古学を専門的に学べる大学は少ない」と執筆の背景を説明。「水中遺跡の周知はもちろんだが、人材育成にも力を入れなければならない。海事史や船体構造学など水中考古学に必要な専門知識を学べる場が必要だ」と話す。

 考古学者だけでなく、市民の関心も集める鷹島神崎遺跡が、日本の水中遺跡の保存・展示のあり方を考えるきっかけとなり、水中考古学全体の発展につながることを期待したい。

=2012年12月7日付 西日本新聞朝刊=

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