天降神社 天孫一族3世代を祭る

2017年04月12日

日本書紀や古事記の天孫降臨に由来した名前なのだろう。天照大神の孫の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が「葦原の中つ国」(日本)を治めるために、高天原に天降(あまふ)ったという話である。

天降神社の境内へと続く参道

その天降(あまふり)神社は、JR豊前川崎駅より西南に1・3キロ離れた永井地区中元寺川の傍らに鎮座している。

歴史を感じさせる三つの鳥居と長い参道、その両脇にはこま犬や灯籠が数組奉納されている。正面に拝殿があり参拝をすませ、奥の神殿へ回る。屋根を見上げると、はりやひさしなどに見事な木造彫刻が施されている。たぶん名人級宮大工の仕事だろう。拝殿右側には、瓊々杵尊を案内したという猿田彦大明神の石祠(せきし)8個が建屋に安置されていた。

神殿上部に装飾された木造彫刻

由緒板を読むと、祭神は、瓊々杵尊ではない。由緒板に従えば、第一殿に天降神として瓊々杵尊の孫の鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、第二殿に息子の彦炎出見尊(ひこほほでみのみこと)、その妻の豊玉媛命、この夫婦の息子たちで長男の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、次男の稷飯命(きびいいのみこと)、三男の三毛入野命(みけぬのみこと)、四男の磐余彦命(いわれひこのみこと)(神武天皇)と続き、不思議なことに祖父母の子として海若宮主神(うみわかみやぬしのみこと)を祭っている。

つまり、神武天皇まで3世代の天孫一族が祭られているのだ。

重藤政登宮司によると、福岡県神社誌は天降神社の主祭神を瓊々杵尊としている。神社の由緒板とは異なる。これは、神社が地元の伝承を受け継いできたからだ。

川崎町誌に詳しい。地元に伝わる古文書を参考に天降神社の縁起をまとめたという。古文書には神武天皇の話が紹介されていた。

それによると、神武天皇が、日本各地を視察したおり、川崎の地に住んで、猪を狩猟した。これにちなんで、猪膝、猪尻(井尻)、猪鼻などの地名が生まれたという。

神武天皇は、父母や祖父母神兄弟神を迎えて川崎に居を営んだ。この川は「高日崎早日川、後世此地日川崎(高きを崎といい、早きを川という。後世この地を川崎という)」と町誌にあり、川崎の地名の由来になったと説明されている。

神社の氏子衆は、地名の由来とされた神武天皇の伝承を大切にし、誇りとアイデンティティーを守る為に由緒板を参道に設置したのだ。

天孫一族が大昔、川崎に住み、神武天皇の伝承が地名に由来するとは。

神武天皇は英彦山から国見をし、筑紫の国を視察するなど、遠賀川流域には数多くの伝承が残っているが、天降神社の話には驚かざるを得ない。

(麻生西日本新聞TNC文化サークル事務局長 母里聖徳)

 

2016年11月5日、西日本新聞筑豊版掲載

メモ

天降神社(あまふりじんじゃ) 古代史研究家の内倉武久氏によると、九州には天降を名前にした神社が多く、糸島半島の伊都地区には11社を確認している。鹿児島や宮崎にもあると紹介している。筆者は筑豊で3社を確認している。

呼び名はさまざまで、「あまふり」「てんこう」「あまくだり」「あふり」「あまおり」「あもり」で、川崎町の天降神社は「あまふり」である。川崎町川崎。

住所:〒827-0003 福岡県田川郡川崎町大字川崎3868

この記事を書いたのは・・

母里聖徳
麻生西日本新聞TNC文化サークル事務局長

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