田川神幸祭④/光明八幡神社・我鹿八幡神社 壮麗な山笠、太平を喜ぶ

2017年05月10日

澄んだ青空を突くように、赤村ののどかな田園地帯に高さ20メートルの山笠(山車)がそびえる。毎年5月4、5日、上赤地区の光明(こうみょう)八幡神社と下赤地区の我鹿(あか)八幡神社で営まれる神幸祭。神輿(みこし)の御幸を喜ぶ祭礼は、豪壮華麗だ。

現在、両神社を出た神輿には、光明八幡で1基、我鹿八幡で1基の山笠が供をして、それぞれのお旅所へ向かう。山笠は虎などの彫刻が施され、花びらのように広がる色とりどりの幟(のぼり)旗やばれんに彩られている。

装飾が施された山車(赤村提供)

両神社の神幸祭ともに、いつから神輿に山笠が伴う現在の形になったのかは定かではない。

村史によると、光明八幡神社創建の由来は9世紀にさかのぼり、近くの御許山に鎮座して、八幡神などを祭神としたが、応永の乱(14世紀末)の兵火や火災で焼失。1628年に赤村が上下二村に分かれた際、上赤村民が現在地に社殿を再建し、我鹿八幡神社から分霊を勧請したとある。ただ神幸祭は1774年に始まったとの伝承に限られる。

一方、我鹿八幡神社の祭神は、村と添田町の境にある吾勝山(現在の岩石山)に降臨した伝承が残る吾勝(あがつの)尊(みこと)など7神体で、9世紀には宇佐から八幡神を勧請。同神社も戦国時代の兵乱で焼失した後、小倉藩主の細川忠興が1615年に現在地に遷座した歴史を持つ。神幸祭はこの時からだ。

由緒ある両神社は、多くの戦禍に見舞われ、歴史を記す数々の史料を失ってきたことが分かる。

神幸祭では、繰り出す山笠の大柱に「天下泰平」と書かれた箱玉串が据えられている。他にはない華やかさには「平穏で実り多い暮らしを喜ぶ人々の思いが込められているのかもしれない」。村政策推進室企画係主事で、学芸員の資格を持つ松浦幸一さん(43)は語った。

我鹿八幡神社神幸祭を前に壮麗な山車について説明する松浦幸一さん
我鹿八幡神社神幸祭を前に壮麗な山車について説明する松浦幸一さん

=2017年4月21日付 西日本新聞筑豊版掲載=

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西日本新聞筑豊総局

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