田川神幸祭⑧/糸田祇園山笠  山笠に宿る、京都の面影

2017年05月15日

初夏の夕闇に色とりどりの光跡が浮かぶ。男衆たちが「エンヤヤッサ、コラヤッサ」と声を上げて、高さ約10メートルの山笠を前後に揺さぶると、沿道から歓声がわき上がる。5月13、14の両日に糸田町で開かれる糸田祇園山笠。豊前地域らしい、稲穂をかたどった飾り「ばれん」や豊前・小倉藩主だった小笠原家の家紋「三階菱」が目を引く。一方、豪華な武将の人形飾りと担ぎ山は、田川神幸祭では珍しい特徴でもある。

小笠原家の家紋やばれんに加え、筑前地域で見られる人形飾りも特徴的な糸田祇園山笠(昨年)

諸説あるが、糸田祇園山笠の神幸行事は京都の祇園社(現八坂神社)の祇園祭に源流がある。始まりは1706年、糸田町の須佐神社が行橋市今井津の祇園社より勧請(かんじょう)して行われた。今井津の祇園祭もまた、京都から伝わったとされる。

祇園祭は平安時代、祇園(御霊)会と呼ばれ、疫病退散を願った。祇園社にはインドの祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の守護神牛頭天王(ごずてんのう)が祭られており、同町の須佐神社3祭神のうちの素戔嗚命(すさのおのみこと)は、日本で牛頭天王と同じ神と信じられていた。祇園社の山笠もかつては担ぎ山だった。

糸田町史によると、須佐神社は後に同町の金村神社に合祀(ごうし)。明治政府による行政区の合併や戦時期を経て、現在の糸田祇園山笠の形になった。同町教育課文化財担当の岩熊真実さんは「糸田の山笠は京都祇園社の面影が色濃く、筑前の山笠に見られる人形飾りもある。筑前と豊前の国境にあったため、さまざまな文化が反映された」と推察する。

ちょうちんや電飾が夕闇に映える山笠(昨年)

糸田祇園山笠には例年、2日間で約3万人の来場者がある。地域の活力につながる祭りとして今年、一般財団法人地域活性化センター主催の「ふるさとイベント大賞」で優秀賞を受賞した。山笠の松尾伸俊実行委員長(45)は「祭りの2日間は町が一体になる。団結力は他の神幸祭にも負けない」と誇らしげに語る。

=2017年4月27日付 西日本新聞朝刊筑豊版=

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西日本新聞筑豊総局

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