沖ノ島 「俗化させず、信仰大切に」

2017年05月26日

福岡県宗像市の「神宿る島」沖ノ島が、世界文化遺産に登録される見通しとなった。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関は、構成資産8件のうち半数を除外勧告したが、古代祭祀(さいし)の場となった沖ノ島については、考古学的価値を高く評価した。祭祀遺跡の学術調査が最初に行われたのは60年以上前のことだ。3次にわたる全ての調査に携わった福岡大名誉教授の小田富士雄さん(83)は「あんな遺跡には二度と出合えない。学者冥利(みょうり)に尽きる調査だった」と当時を懐かしむ。

「沖ノ島のような遺跡は他にない。全ての学術調査に参加できた私は果報者です」と振り返る小田富士雄さん

学術調査は宗像大社の社史編纂(へんさん)の過程で計画され、1954年5月に始まった。現地主任を務めた九州大の鏡山猛助教授に誘われ、九大の学部生だった小田さんも補助員として調査団に加わった。古来、数々の禁忌に守られ、謎に包まれていた絶海の孤島。「とりあえず無人島に行ってみよう」という心境だった。

上陸すると、木々が生い茂り、昼間も薄暗くて懐中電灯を手放せない。空に突き出た巨岩の周りだけ太陽の光が届く。至る所に須恵器の破片が落ちていた。「えらいところに来たな」。独特の雰囲気を感じた。

驚いたことに、岩陰の落ち葉を手で取り除いただけで勾玉(まがたま)などの遺物が出てきた。銀製品は風に当たった瞬間、目の前で酸化し、黒ずんでいく様子が分かった。最初は、オオミズナギドリが岩陰の巣で地面を引っかき回し、遺物が掘り起こされたと考えた。トレンチを入れると、すぐに岩盤に突き当たった。千年以上前の人々が地面に置いたままの状態だったのだ。

第2次調査で巨岩の下を調べる調査員たち=1957年8月

1次調査で「7号遺跡」と呼ばれる巨岩の陰を調べた。小田さんが表土をつかむと、黄金色に輝く小さな指輪が手の中にあった。5~6世紀の金製指輪だ。朝鮮半島の古墳で出土した指輪を思い出した程度で驚かなかったそうだが、金製指輪は後に沖ノ島出土品の象徴的存在になった。

過酷な現場だった。昼はアブが飛び交い、岩陰にはいつくばる調査員の背中を刺した。「鏡山先生がハエたたきでわれわれの背中をたたいて回るんです」と小田さん。夜は宿舎で蚊に悩まされ、海上の台風のすさまじさも体験した。心の支えとなったのは、時間が止まったままの貴重な遺跡を発掘する喜びだった。調査は断続的に71年5月まで実施され、3次調査で小田さんは副隊長を務めた。

学術調査を支援したのが、地元出身で出光興産を興した出光佐三だ。戦前、宗像大社の荒廃した姿に心を痛め、後に復興に私財を投じた人物である。「佐三さんの強い信仰心なしに学術調査は実現しなかった」と小田さんは強調する。

6年前、小田さんは約40年ぶりに沖ノ島を訪れた。最後の調査から長い年月が経過し、最新の学問を踏まえて古代祭祀を再考するのが目的だった。島に渡って気がかりだったのは、うっそうとしていた木々が少なくなり、昼間の薄暗さが和らいだことだ。

登録を決める世界遺産委員会は7月に行われる。今後、除外勧告を受けた構成資産を含めた登録を目指す地元の動きも含め、沖ノ島への関心はますます高まっていく。小田さんは「世界の宝」になることに理解を示しつつ、「沖ノ島を俗化させず、信仰やおきてを大切にしてほしい」と願っている。

=2017年5月24日付 西日本新聞朝刊文化面=

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