「不弥国の考古学」 古代史連続講座

2017年06月21日

「ミスター吉野ケ里」と呼ばれる考古学者の高島忠平さん(77)が監修した連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く-イイヅカ発古代史情報最前線」の第1回講演会が17日、飯塚市飯塚のコミュニティセンターであり、約200人の古代史ファンが集まった。

連続講座の第1回は「不弥国の考古学」をテーマに講演があった

「不弥(ふみ)国の考古学」をテーマに、飯塚市歴史資料館の嶋田光一館長(62)が講演。「邪馬台国の所在地論に決着をつけるには不弥国を解明することが重要」と指摘し、候補地として、立岩遺跡を根拠に旧嘉穂郡一帯を挙げた。

高島さんは立岩遺跡で出土した前漢鏡について「遠賀川の港を通じて独自に手に入れたものではないか」と述べ、周辺との交流が盛んだったことを説明した。

次回は7月9日午後1時半から、飯塚市飯塚のコスモスコモンで開催。「卑弥呼の都するところ」をテーマに、福岡大の武末純一教授と佐賀県立佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長が講演する。問い合わせはコスモスコモン=0948(21)0505。

 

「不弥国は邪馬台国への起点」

「不弥(ふみ)国の考古学」をテーマに語り合った17日の講演会では、「ミスター吉野ケ里」こと高島忠平氏と嶋田光一氏が討論し、古代史ファン約200人が聞き入った。

不弥国があった場所についての討論を聞き、質問する古代史ファン

嘉穂盆地を一つの国として不弥国があった可能性が高いと説明する嶋田氏に、高島氏は「嘉穂盆地は穂波と嘉麻に分けて二つの国だったのではないか」と質問。嶋田氏は「嘉麻川流域を嘉麻郡、穂波川流域を穂波郡。立岩遺跡は嘉麻郡の北部に位置し、二つの河川が合流して一つの地域として考えていいのではないか」と答えた。

嶋田氏は不弥国から先のルートについて「遠賀川をいったん北へ下り、河口で大型船に乗り換え、響灘か洞海湾を東に水行し東南に行けば、周防灘か瀬戸内海に至る。そこに投馬国があり、その先に邪馬台国が見えてくるかもしれない」と畿内説を示した。高島氏は「不弥国の存在は邪馬台国に行く起点にも論争の起点にもなる」と述べ、「山も交易のルートになる。紀元前1世紀に立岩の石包丁が筑後に行っているのは既に開拓されたルートであり、『ヤマト』に行かなくても筑後に行ってもいいのでは」と九州説を唱えた。

1963年に立岩遺跡の発掘に携わった高島氏は、10号甕棺の内部を掘った際、左右に3面ずつ鏡面が上を向いた状態で見つかったことについて、「鏡を手にした時に空気に触れるとピキピキと音を立てて鏡にひびが入ったことに感動した」と振り返った。

北九州市小倉北区の木村勝代さん(70)は「知れば知るほど謎が深まる古代史にハマってしまった。『不弥国』から考える王朝説も面白く、自分でも調べてみたい」と話した。

旧嘉穂郡一帯に「不弥国」  嶋田氏講演

嶋田光一氏

邪馬台国の所在地論に決着をつけるには、まず不弥国の位置と実態を解明することが重要な課題になる。飯塚説が不弥国の候補地である根拠は、飯塚市にある立岩遺跡だ。前漢鏡6枚や鉄剣などが出ている10号甕棺(かめかん)の王墓や、ガラス製塞杆状(さいかんじょう)葬玉など髪飾りの副葬品が出た28号甕棺の王妃墓などが出土しており、国としての規模を整えている。

不弥国には「多模」という長官と「卑奴母離」という副官が常駐していたので、それにふさわしい遺跡や遺物が存在しなければならないが、それを実証する遺跡として立岩遺跡がある。

立岩遺跡は、(1)弥生時代の石包丁・石鎌・石戈などの製造所が発見され、製品が八木山峠を越えて奴国や伊都国方面に、冷水峠を越えて筑後方面に達している(2)鉄剣を副葬し、貝輪を着装した人物が葬られた甕棺が発見されている(3)銅戈や銅剣を製作した石製鋳型が発見され青銅器を生産している(4)1960年代に立岩堀田甕棺群が調査され、族長クラスの墳墓の存在が証明された。

立岩遺跡周辺部の旧嘉穂郡一帯は、弥生中期後半に立岩に王が出現した以後、邪馬台国時代からヤマト王権の進出のころまで継続して重要な内陸交通路であり、有力な支配者が存在していた。原始社会から古代社会への歴史的展開が認められる旧嘉穂郡一帯に魏志倭人伝に登場する不弥国の位置を想定することは可能ではないだろうか。

=2017年6月18日付 西日本新聞朝刊福岡県版、筑豊版=

 

不弥国

魏志倭人伝に「東行不弥国に至る百里、官を多模といい、副を卑奴母離という。千余家あり」と記され、3世紀に日本列島に存在した国の一つとされる。倭人伝に記される対馬、一支、末盧、伊都、奴国の所在地は確定している。不弥国は九州に存在したとされるが、九州のどこかは諸説あり、太宰府付近、粕屋郡一帯、飯塚市一帯などが候補地とされている。邪馬台国へ向かう起点になる国で、論争上重要な国である。

この記事を書いたのは・・

西日本新聞筑豊総局

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