福岡・筑前町で出土の石片  弥生時代のすずり

2017年07月04日

福岡県筑前町の中原遺跡で出土し、砥石(といし)と考えられていた石片が、弥生時代後期初頭(1世紀)のすずりの破片とみられることが国学院大の柳田康雄客員教授(東アジア考古学)の調査で分かった。弥生時代のすずりは西日本の日本海沿岸域で計3点確認されているが、内陸部での発見は初めて。すずりを倭人(わじん)が使っていた可能性があり、柳田さんは「文字文化は意外に普及していた」と話す。

中原遺跡は同町の拠点集落跡・東小田峯遺跡の近くにある。石片は長さ9・4センチ、幅7・4センチ、厚さ0・69センチ。1990年度の発掘調査で竪穴住居跡から出土し、砥石として報告された。今年3月に再鑑定した柳田さんが、中央部に擦った跡とみられる楕円(だえん)形のくぼみを確認し、すずりと判断した。墨の付着は確認できなかった。中国・漢代に普及した長方形板状のすずりの一部とみられる。

3世紀の中国の史書「魏志倭人伝」は、前漢が朝鮮半島北部に置いた楽浪郡の使者が、北部九州の伊都国に滞在して外交文書を作ったと伝える。この記述を裏付けるように、伊都国の王都だったとされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で弥生時代の1~2世紀のすずりの破片が2点出土。松江市の田和山遺跡でも1点見つかっている。

過去の3点は日本海沿岸域で発見されたが、中原遺跡は渡来人との接点が少ない内陸の段丘にある。今のところ楽浪系土器は確認されておらず、柳田さんは「すずりを使ったのは倭人」と推測し、大陸から伝わった文字文化がこの時期に広く普及していたと考える。石材の特徴から国内製の可能性もあるという。

筑前町には、倭人伝に登場するクニが見当たらない。しかし、東小田峯遺跡で前漢鏡や土製鋳型が出土しており「この地域は伊都国や奴国のような先進地域と同じ歩調で発展していた」と柳田さん。新たなすずりの発見は文字文化の受容にとどまらず、北部九州の弥生社会の様相を知る手掛かりになりそうだ。

調査結果は、奈良県の桜井市纒向(まきむく)学研究センターの紀要「纒向学研究」に掲載された。

 

=2017年7月3日付 西日本新聞朝刊文化面=

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